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(1871-1945) |
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静岡市に生まれる。逓信省郵便電信学校に学び、大蔵省印刷局に入る。この頃、水彩画家アルフレッド・イーストの通訳をつとめ指導を受ける。また、浅井忠、川村清雄などに洋画を学ぶ。明治美術会に出品を続け、会解散後は川村清雄らとトモエ会を結成。日本水彩画会の創立に参加し会員となる。大正13年(1924)陸軍通訳官として台湾に渡り、第1回台湾美術展の創立委員、審査員をつとめ、台湾で美術教育に寄与し、多くの後進を育てた。 |
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「赤城淡煙」 |
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