『漁婦』 明治30年(1897) 
油彩・キヤンバス 57.7×83.5cm

 この作品は、浅井忠が、明治29年(1896)12月から翌春にかけて房総を旅し、白浜の根本海岸での取材をもとに制作し、明治30年(1897)の第8回明治美術会展に出品されました。東京在住時代の代表的な作品です。

●浅井忠(あさい ちゅう)
     安政3年(1856)〜明治40年(1907)

 江戸木挽町佐倉藩邸内に生まれる。幼名、忠之丞(ちゅうのじょう)。文久3年(1863)父逝去し、家督を相続。佐倉の将門に住む。国沢新九郎(くにさわ しんくろう)の彰技堂に入門し、初めて洋画を学ぶ。日本で初めて創設された官立の工部美術学校に入学し、イタリア人教師フォンタネ−ジに本格的な洋画指導を受ける。同志と我が国最初の洋風美術団体「明治美術会」を設立する。以後、同展に『春畝』『収穫』(いずれも重要文化財)などを出品。東京美術学校教授となり、文部省の命を受け、西洋画研究のため、2年間のフランス留学。帰国後は京都に移住し、京都高等工芸学校図案科教授となる。関西美術院設立に伴い、院長に就任。安井曽太郎(やすい そうたろう)、梅原龍三郎(うめはら りゅうざぶろう)らを指導する。京都で逝去。

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●梅原龍三郎(うめはら りゅうざぶろう)
     明治21年(1888)〜昭和61年(1986)

 京都府に生まれる。本名、良三郎(りょうざぶろう)。浅井忠の聖護院洋画研究所に入学。その後関西美術院に移り、浅井忠の指導を受ける。フランスに留学し、ルノワ−ルと出会い、以後、師事した。帰国後、二科会の創立に参加し会員となるが退会。その後春陽会の創立に参加し会員となるが退会。さらに国画創作協会に入り、第2部(洋画部)を創設。国画会を結成し、これを主宰。昭和10年(1935)帝国美術院会員(昭和12年帝国芸術院会員)となる。東京美術学校教授に就任。文化勲章を受章。東京で逝去。

『竹窓読書図』(ちくそうどくしょず) 
昭和12年(1937) 油彩・キャンバス 80.0×65.0cm

 この作品は、熱海で描かれた梅原の戦前の代表的な作品の一つです。梅原は昭和6年(1931)頃から夏になると、熱海にある友人の別荘で制作するようになりました。琳派や南画の伝統を摂取し、豊麗で自在なフォルムを特徴とした画風がこの作品からもうかがわれます。

●小堀進(こぼり すすむ)
     明治37年(1904)〜昭和50年(1975)

 茨城県に生まれる。県立佐原中学校を卒業、葵橋洋画研究所に入所し、黒田清輝(くろだ せいき)の指導を受ける。その後水彩画家として活動することを決意。白日会展、日本水彩画会展に出品、同志と水彩連盟を結成。新日展評議員、改組日展理事などをつとめる。第1回改組日展出品『初秋』により、日本芸術院賞を受賞。水彩画家として初めて日本芸術院会員となる。東京で逝去。

『海(白浜)』 
昭和29年(1954) 紙・水彩 65.7×99.8cm

 この作品は、第10回日展に出品されました。南房総の白浜の海岸を描いています。小堀は、細部にとらわれない筆触と効果的な色使いの明快な表現で、水彩画に新たな世界を築きました。小堀様式を確立していく時期の作品です。


●ジャン・フランソワ・ミレー
     文化11年(1814)〜明治8年(1875)

 フランスのノルマンディ−地方、グレブィル教区のグリュシ−村に生まれる。パリに出て、美術学校のドラロ−シュの教室に入る。サロンに『箕をふるう人』を出品。その後パリ郊外のバルビゾン村に移住。没年まで住む。この間、サロンに『種をまく人』、『落穂拾い』、『晩鐘』などを出品、審査員を務めた。レジヨン・ドヌ−ル5等勲章を受章。バルビゾン村で逝去。

『垣根に沿って草を食む羊』 
1860年頃 油彩・キャンバス 51.5×62.2cm

 この作品は、ミレ−がバルビゾン村に移り住んで10年程たった頃に制作されました。有名な『落穂拾い』『晩鐘』などの作品に連なるもので、農民画家として自己の世界を築いたミレ−の特色を示す作品の一つに挙げられます。

●アントニオ・フォンタネージ
     文政元年(1818)〜明治15年(1882)

 イタリアのレッジオ・エミリアに生まれる。レッジオの市立美術公民学校に入学。パリの万博博覧会に行き、バルビゾン派の画家たちと交わる。その後南フランスのクレミュ−を訪れ、ラヴィエらリヨン派の画家たちの影響を受ける。トリノのアルベルティ−ナ美術学校に風景画の教授を務める。明治9年(1876)工部美術学校が開設し、画学教師として来日。浅井忠、小山正太郎(こやま しょうたろう)らを育てる。明治11年(1878) 帰国し、アルベルティ−ナ美術学校教授に復帰。トリノ市で逝去。

『牛を追う農婦』 
制作年不詳 油彩・キャンバス 47.0×61.0cm

 この作品は、制作年が記されていませんが、1862年に描かれた、同風景・同構図の作品があり、その頃の作品と推定されます。イタリア風景画家の第一人者である彼の褐色調で情趣を帯びた画風は、浅井忠を始め、近代日本洋画の発展に先駆的な活動をした作家たちに受け継がれました。