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考古3本立て展 展示紹介
こんな風に見るともっと面白い


きのこ形土製品
大湯環状列石(秋田県鹿角市 大湯環状列石出土)
 今回の展覧会展示品について、中央博物館にいる別分野の専門家の意見を聞いたり、素朴な疑問をぶつけてみたりしたら、見るわれわれの側から見て面白いことが出てくるのでは・・・ということで、企画しました。
 
 別分野の先生をお願いして、考古分野の先生と、ど素人の記者の2人でいろいろ聞いてみました。というフィクションです。
 
今回は、きのこ形土製品について

きのこの専門家 木野 虎鳥さん(きの・ことりさんと読む)に、折り目正しい考古の堀太郎と、不養生のせいで糖尿になり、きのこ・こんにゃくを多量に食するようになった記者フーおやじが話し合いました。

きのこ形土製品:高さ4cm
フーおやじ・・・「まさに、きのこそのものですね。それで、きのこ形土製品というんですか。どんな遺跡からでたものですか?」
堀太郎・・・「 大湯環状列石(秋田県鹿角市)は、十和田湖南側の台地上に位置しています。
 これまでの発掘調査で、二つの環状列石(ストーン・サークル)と、それを囲む建物跡や貯蔵用の穴などが発見されています。
この環状列石は、二重円状にたくさんの石を並べて造ってあり、直径はそれぞれ48mと42mにもなります。下の画像の中央に2つの環状列石が見えますね。手前の環状列石の周りに建物が復元されてます。」

フーおやじ・・・ 「祭祀のための遺跡の性格が強いんですね。環状列石は日本ではどのくらいあるんですか?」
堀太郎・・・「 環状列石は今から約4000年前、縄文時代後期を中心とした時期のお墓と考えられ、主に東日本で約100基発見されてます。
その内でも、大湯環状列石は最大規模のものですね。」
フーおやじ・・・ 「出土品はどんなもの?。」
堀太郎・・・「遺物としては周辺から、日常に使用した多量の土器や石器の他に、まじないに使ったと考えられる土偶や、きのこ形・動物形などの土製品が多く発見されています。このことから環状列石を囲んで発見された建物で、弔いの儀式や豊作・豊漁を祈る祭りが行われていたと考えられます。 」
フーおやじ ・・・「1個だけじゃなくて、ザクザク出たわけですか。」
堀太郎・・・「 ええ、下の画像みたいな具合です。
このような、見るからに「きのこ」そっくりの土製品は、大湯環状列石をはじめ、北海道南部から、福島県を南限とする東北地方を中心とした、縄文時代中・後期の遺跡で多く発見されているんですよ。」

出土したキノコ形土製品  大きさと形もいろいろのようですが・・・
 以上、遺跡・遺物の画像は、秋田県鹿角市教育委員会提供。
フーおやじ・・・「地域的・時代的に限定されたものなんですね。
ところで、ずいぶん写実的に作ってあるし、専門家に聞けば、種類なんかもわかるんじゃないですかね。」

 
ということで、堀太郎とフーおやじは、当館のきのこはかせ、木野・虎鳥(きの・ことり)さんに画像を見てもらいました。

 ・・・それが、虎鳥氏の長広舌を誘発。
木野・虎鳥・・・「土製品として出土するきのこ形土製品は、傘と柄以外にパーツがない、いわゆるキシメジ形のものですね。 ↓ 下の画像を見せてくれました。
 キシメジ形のきのこは、現在担子菌類ハラタケ目キシメジ科に分類され、シメジやシイタケの仲間に広くみられる形です。
 きのこ形土製品の種類に関して、いろんな推理があるかもしれません。しかしこの形からは、なんのきのこを示していたのか、判然としません。

キシメジ

左から2つ目と3つ目は、縦に裂いたもの。

木野・虎鳥氏によれば、「やや苦味がありそんなにうまくない」とのこと。

キシメジ形のよく知られたきのこ

 ご存知・・・シイタケ



 フーおやじ談:私のご幼少のころは干したシイタケだけでしたよね。シイタケというのはしわしわのもので、こんなふっくらしたものとは知りませんでした。
 近所で栽培農家があって、毎週買ってます。生のシイタケが食えるようになったのは進歩ですね。


 (画像:大作晃一氏提供)
キシメジ形のうまいきのこ:バカマツタケ キシメジ形の毒きのこ:カキシメジ
フーおやじ、堀 太郎・・・「そうですか、それは残念。」 
・・・判別不能と自信を持って言い切るところ、こうでなくちゃいけないよね、と感心。
木野・虎鳥さん ・・・・・「名前だけが重要というわけじゃないでしょう。私の、きのこ狩の体験と日ごろの研究から滲み出る、きのこの薀蓄を少々お話しましょう。」
フーおやじ、堀 太郎・・・「ほう、いかがな話ですかな。」
 
・・・それではと座りなおす。
木野・虎鳥さん・・・・「まずは、前提として、きのこ形土製品が縄文時代のある時期にだけ出土し、ある時期以降は出土しなくなったという点に注目します。
 また、この土製品が食用の対象であるきのこを形どったもの、と考える事にします。
フーおやじ・・・ 「ふむふむ。」
木野・虎鳥さん・・・・「稲作や雑穀などの農耕により定期的に食糧が手に入るということが約束されなかった時代、食糧は、川をのぼってくるシャケ、森の中の動物、ブナ科の樹木がつくるクリやドングリ等の堅果種子等々に、ヒトは大きく依存していたことでしょう。
野生のナメコ
 そのような中で、きのこは、食糧として結構あなどれない役割をもっていたと思われます。
 縄文時代の自然環境、おそらく、集落の裏には深々とした大規模な森林があり、そこに巨木が立ち並び、巨大な倒木も、森の中にはところどころに倒れている、そんな環境だったはずです。このような森からは、多様で大量の野生のきのこが収穫できたことでしょう。

 身近な環境に野生きのこが沢山発生するような自然環境が長い間継続し、人々は沢山のきのこを食用の対象とし、あるいは毒きのこを見極め、その知識を伝授してきたことでしょう。どんな植物や動物が食用の対象となるか、どんな取り方や食べ方で、食用として利用できるのかという知識と同等に、きのこに関しても莫大な知識を持っていていたのが縄文人であったはずです。

 しかし、年によって当たりはずれがあり、美味しいきのこが毎年とれるわけではなく、天候など神様の領域の力がきのこの発生に大きな役割を果たしている、とも感じていたことでしょう。
 そこで縄文の人達は、予祝的な意味を込めて、きのこの豊饒を願い、きのこ形土製品をつくったのではないでしょうか。」

縄文の森と豊かなキノコ・・・・イメージ画像です。

青森県八甲田山麓十和田湖町の蔦温泉近くのブナの森林
と、福島県只見町浅草岳山中のクリタケの株
フーおやじ・・・ 「縄文の豊かな森というのは、聞いてますが、イメージとして鮭ぐらいまででしたが、きのこもでてくると、イメージが膨らみますね。」 
木野・虎鳥さん・・・・ 「ちょっと、視点を変えますね。 ご存知かもしれませんが、一般にきのこというのは、お腹をこわすようなものまで含めて、約1割が毒きのこと考えてよいようです。
それ以外は、おそらく毒がないものでしょう。しかし、食べて美味しいきのこも、また約1割くらいと考えられます。
フーおやじ・・・ 「なるほど」 
木野・虎鳥さん・・・・ 「また、現在でも、食用きのこの知識というものは、集団の文化として代々伝授されるものです。ある特定の地域に限定すると、食用の対象となるきのこの種類は、かなり厳密に決まっており保守的です。
 千葉県では、ハツタケ、アミタケ、ショウロなどを、おそらく江戸時代以来食用としていますが、それ以外はあまり食欲の対象としません。また、千葉県の山の方へいくと、ある種のホウキタケ属のものが食用として加わります。これは、食用の対象とするきのこが、その土地の文化として決まっているということです。
 そしてその情報は、本や巻物で伝えるものではなく、祖父母にきのこ狩りにつれていってもらい、肉親などの特定のグループから直接伝授される知識です。
 あるきのこを食べてうまかった、あるいは、ひどい目にあった、ということが、代々、体験談として伝わったものだと思います。
 この知識の伝達の仕組みは、文字を使わない伝授の方法で、縄文時代と変わらない方法でしょう。
 そして、現在でも、毒きのこは人が食べて初めてわかるものです。科学的に分析されて、判明した毒きのこはほとんどありません。経験によって毒と判明するのが毒きのこです。
 毒きのこの判別方法は、縄文も現在もかわりがなく、人が食べて初めてわかるのが、毒きのこであり、また旨いきのこなのです。そんな文化の継承が縄文時代にもあったのでしょう。」
 <千葉県人伝承の3大きのこ>
 ハツタケ
2003年11月3日 鴨川市清澄山
 アミタケ
1993年5月9日,山武郡蓮沼村
アカマツなどの松林に多いきのこです。
 ショウロ
現在では,千葉県指定の絶滅危惧種.
1992年5月22日,長生郡一宮町.
フーおやじ・・・ 「千葉県の伝承きのことは初めて聞きますね。千葉県への移住人なので、知りませんでした。 画像で見ると、3つとも人相が悪くて、野外で見たら、毒きのこかなと思ってしまいますね。」
木野・虎鳥さん・・・・「今でもきのこ狩りは、狩りというくらいで、経験と勘、そしてちょっとした運が試される、一発勝負の事業です。
 農耕という文化が持っている、毎日同じことを繰り返すことが美徳とされる「勤勉」とは、対極にある行為です。
 狩猟採集が、人間にとって大きな役割を果たしていた時代、勤勉ではないが、妙に獣狩りやきのこ狩りが得意だった人達が大いに評価された時代があったことでしょう。
 時代が変わり、縄文のある時期から農耕の時代となりました。農耕は、きのこ狩りなどよりも、もっと大きな収穫が期待される事業です。しかし同時に「勤勉」の時代となったのです。
 きのこ狩り的な一発勝負屋は、「勤勉」の時代にはあまり評価されなくなり、同時に、きのこの収穫物もあまり評価されなくなったのではないでしょうか。きのこが土製品として出土しなくなった時代というのは、そんな時代の移り変わりを示しているように思えてなりません。
フーおやじ・・・ 「えらく残念そうですね。なにかトラウマでも?」
木野・虎鳥さん・・・・「生来勤勉とはほど遠い、ただのきのこ好きの私としては、きのこ形土製品に思いをめぐらすと、時代と共に消えた一発勝負屋の悲哀を、ひしひしと感じるのであります。」
フーおやじ+堀太郎 ・・・ 「きのこ狩りも文化だ、狩猟民の理想像など、柳田国男の本に出てきそうな話でしたね。縄文人へのイメージが豊かになりました。 
どうもありがとうございました。 (^_^) (^_^)v」 

フーおやじの感想 : 「自画像・・・ですな。」

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