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環境の日記念・県民の日記念 自然誌シンポジウム

”〜科学と感性の融合をめざして〜

沖大幹先生講演
「地球をめぐる水と、水をめぐる人々」講演要旨

1. はじめに

もし二十世紀の戦争が石油を巡る紛争だったとするならば、二十一世紀は水を巡る紛争となるだろう、という言葉を見聞きしたことがあるでしょうか。昨今の日本普段の生活では、洪水や渇水で困った経験がある方はは限られているでしょうから、世界の水問題、あるいは世界の水危機と言われても、あまりぴんと来ないかもしれません。

しかし、例えば国連関連機関や各国研究機関の推計値をとりまとめた世界水ビジョンによると、

等が指摘されています。安全な水へのアクセスがない、ということは、共同で使う水道や井戸すら身近になく、衛生的に問題があるかもしれない川や湖の水、あるいは雨水を飲まなければいけないということにつながり、また、そういう状況では生命維持に必要な水を得るために、家事労働の多くの時間を割かなければならないケースも多いのです。

しかし、今後に人口増加に伴って必要な水資源が増加するのは飲み水だけではありません。いえ、むしろ、飲み水以外の水が大量に必要なのです。以下では、水をめぐる日本や世界の状況について紹介します。

2. 水はどのくらい必要か?

いったい人は一年間にどのくらいの水が必要なのでしょうか。地震災害等に備えて家庭に常備しておくべき水の量として、一日一人あたり約二〜三リットルを三日分程度、すなわち、家族三人ですと約三十リットルを蓄えておく必要があるとされています。一日三リットルでも、せいぜい一年間に約一立方メートルにしかなりません。しかし、日本で年間に使われている水道の水の総量を、給水を受けている人口で割ると、一年間に約百三十立方メートルにもなります。つまり、飲む水のざっと百倍もの水道水を我々は使っているのです。

水道水の主な用途は、風呂、トイレ、炊事、洗濯等で、歯磨きや洗顔等に使っている水の量は全体に比べると微々たるものです。

ここで水を使うということは、いずれも何かを洗うことだ、ということに気づきます。つまり、体、便器、食べ物や食器、服を洗うために水道水を使っているのです。飲み水についても、汗に伴って失われる水分を補給するという意味以外に、体内の排泄物を体外に洗い流すためだ、という風にも考えられます。洗うということは水が汚れる、ということですので、水を使うということは結局、水を汚すこと、水に汚れを運んでもらうことだ、ということがわかります。逆に言うと、一旦使った水も、きれいにすればまた使える、ということになるわけです。工場等で使われる水も基本的には同じで、生産するための機械を洗ったり、冷やしたりするために使われています。日本で使われている工業用水の量を人口で割ると、約百十立方メートルくらいになります。実は工場の中ではこの五倍近くの水が使われていますが、一度使った水をきれいにしたり冷ましたりして再利用する仕組みが進んでいるので、この程度の使用量で済んでいるのです。日本で使用されている農業用水は、一人当たりに直すと、年間約五百立方メートルにもなります。そのほとんどが水田への灌漑です。水田の場合には、稲が育つのに必要な水だけでなく、温度を一定に保ったり、病害虫を防いだり、雑草の繁茂を抑えたりするために水を張る必要があります。そこで、普通の作物より多くの水が必要となってきます。実際には、上流の水田に導かれた水は下流側の水田へと流れ込んだり、水田からしみこんだ水がまた地下水からまた川へ戻ったりするので、水田に灌漑された水がすべて消費されるわけではありません。しかしながら、一旦水田に入れられた水は汚れますし、ポンプ等を使わずに水を異動させる事ができる位置エネルギーも失われますので、量として戻るからといって水を使っていないとは言えません。また、都市用水や工業用水も、使った水のかなりの部分は何らかの形で最終的には川や海へ放流されますので、農業用水だけ見かけの量が多いとも言えないでしょう。

では、実際に、どのくらいの水が食料の生産に使われているのでしょうか。

3. 食べ物(穀物)を作るのに必要な水

水田稲が生育するのに約百日かかります。目安として、一日に十五ミリメートル分の水が必要とされますので、百日で一ヘクタールあたり一万五千立方メートルの水が必要であることになります。一ヘクタールの水田から日本では約六・五トンの米がとれますので、米一トンあたり約ニ三○○立法メートルの水が必要であったことになります。精米すると、米の重さは稲刈り時の約六五パーセントになりますので、白米あたりに換算すると、米一トンあたり約三六○○立法メートルもの水必要だ、ということになります。

図一は同様に他の主要な穀物に関してどのくらいの水が必要であるか、という水消費原単位を算定した結果です。一立方メートルの水はほぼ一トンですので、重さ換算で何倍の水が必要か、という数字だと考えてよいですし、もう少し小さい単位の方が身近に感じられのであれば、一キロの小麦に約ニ千リットルの水、という風に換算しても良いでしょう。

小麦やとうもろこしでは約二千倍、大麦や大豆では約ニ五○○倍もの水が必要だという推定結果になっています。小麦一キログラムに千リットルの水、という値をご覧になったことがある方もあるかもしれません。しかし、実は、単位面積あたりの収穫量は国によって、また、時代によって大きく異なり、日本は欧米の大規模農業国に比べるとそれほど多く収穫されないため、水消費原単位は多くなっています。

4. 畜産物を作るのに必要な水

では、肉類を作るのにはどのくらいの水が必要なのでしょうか。家畜が飲む水の量は、人間と同様、身体を洗ったりする水に比べるとわずかですし、餌の生産に必要な水がやはり大部分を占めます。

母親の家畜が食べる餌の量や、牛乳の量、肉牛と乳牛の育てられ方の違いや、発育段階ごとの餌の違い、混合飼料に含まれる穀物の配合等を調べて、家畜が屠場で処理されるまでに必要な水の量を、加工して食べやすく成型された肉(正肉)の量で割って肉類の水消費原単位を求めた結果が図ニです。

鶏肉でも約四五○○倍、豚肉では約六千倍、牛肉に至っては約二万倍以上もの水が必要である、という結果になっています。平均的に価格が高い肉ほど水消費原単位が大きくなっていることがわかりますが、牛肉などはそれだけ飼料を食べてもなかなか太らず、生産効率が悪くて贅沢な食材である、ということになります。

牛肉一キログラムを得るのに、その十倍の飼料が必要だ、という推定結果もありますが、図一と図ニで、牛肉は小麦の水消費原単位の約十倍になっていることがわかります。

5. 身近な食べ物に必要な水の量

では、身近にありふれた食べ物として、ファーストフードを例にとって、どのくらいの水が必要であるかをみてみましょう。

一杯の牛丼には、約七十グラムの牛肉が使われています。これに必要な水の量は約一四四ニリットルとなります。ご飯は約ニ六○グラムで、炊いたご飯の場合には、水消費原単位は約一七○○倍となりますので、約四四ニリットルの水に相当します。さらに、約ニ○グラム含まれるたまねぎが約百六十倍の水、約三リットルに相当しますので、合計ざっと二千リットル、二トンの水が牛丼一杯に必要だ、という計算になります。

この様にしていくつかのファーストフードに関して試算した結果が図三です。牛肉を使った牛丼やハンバーガーに比べて、豚を使った照り焼きバーガーやチキンバーガーに必要な水は少なくなっていることがわかります。

6. 食料の大輸入国日本は水も大量に輸入?!

日本はカロリーベースで食料の自給率が四○パーセントしかありません。残りの六○パーセントは海外からの輸入に頼っています。日本が輸入している主要な穀物、畜産製品に関して、それらを日本で作ったとしたら、どのくらいの水資源が必要であったか、を、これまでに述べた水消費原単位を用いて算定した結果が図四になります。もし、水資源あたりの食料の生産性が日本も海外も同じであれば、ここに示された値は、生産地で使われた水の量、ということになりますが、普通は輸出国の方が生産性は良いので、実際に使用された水の量はこれよりも少なくなります。図四は、あくまでも。「日本で作ったとしたらどのくらいの水が必要であったか」という仮想的な水資源に対応しているので、バーチャルウォーターと呼ばれます。

もちろん、食料の輸出国で生産の際にどのくらいの水が使われたかを推定することも可能で、そうした場合には、食料の輸入によって、間接的にどのくらいの水資源に影響、足跡を残したか、あるいは現地の環境に影響を与えたか、という意味から、ウォーターフットプリント、あるいは環境的バーチャルウォーターと呼ばれたりします。図四で、日本が輸入しているバーチャルウォーターを品目別に見ると、とうもろこしや大豆、小麦などの穀物や牛肉、豚肉等の肉類が多くなっています。輸入されるとうもろこしの約7割は飼料用ですし、大豆も油を絞った「かす」が飼料用となります。ある意味では、日本のバーチャルウォーターの輸入は、肉の輸入そのものか、餌を輸入して肉にするためか、いずれにせよ肉食のためでだと言えます。

国別に見ると、オーストラリアやカナダ、南米や東アジア等からもそれなりのバーチャルウォーターが輸入されていますが、圧倒的にアメリカ合衆国からのバーチャルウォーターの輸入が多く、年間約四○○億立方メートル近くにも上ることがわかります。

日本が輸入しているバーチャルウォーターの総量は約六四○億立方メートルにもおよび、国内の農業用水使用量約五七○億立方メートルに匹敵します。国内の農業用水使用量は川や地下水から取水して灌漑する水の総量であるのに対し、バー茶うウォーターには、雨水によってもたらされる水資源の分も含まれているので、厳密には両者を比較することはできませんが、食料自給率が四○パーセントであるのに対応して、国内と同程度の水資源を日本は海外に依存している、と言えるでしょう。

7. 世界地域間のバーチャルウォーターの流れ

では、世界ではどのようにバーチャルウォーターはやりとりされているのでしょうか。

主要穀物について、2000年における各国間のやりとりに基づいてバーチャルウォーターの貿易に換算し、地域ごとにまとめた結果が図五です。

日本を含む東アジア、東南アジアにも太いバーチャルウォーターが北アメリカやオセアニアから流れて来ていることがわりますが、それよりも、北米や西欧から大量のバーチャルウォーターが世界に向って流れているのが印象的です。

戦後の日本は先進国に追いつき追い越せ、ということで工業化を進めてきたわけですが、現在、アメリカやフランス、カナダといった先進国は図五に見る様に、農畜産物を輸出できる様な農業先進国でもあります。

水そのものは、水道用水でも一立方メートルあたり国際的には一ドル程度、農業用水だと一セント程度、と、非常に安く、よほどの事態でないと、国を越えて輸送することは経済的に引き合いません。ミネラルウォーター等の瓶詰め水が貿易されるのは、それが水道用水の約千倍の価格だからです。

しかしながら、水を大量に必要とする製品、特に農畜産物ならば話は違ってきます。乾燥して水資源が不足気味な国であれば、水そのものを輸入して小麦を作るのではなく、小麦を輸入すればその分貴重な水資源を他の用途、例えば都市の生活用水に利用することができます。

実際、図五で、世界中からバーチャルウォーターが集まっていることが見て取れます。これらの国々は、概ね産油国ですので、ある意味で、食料の輸入は、石油を売ったお金で水を買っている様なものだ、というわけで、中東の国際政治研究科のトニー・アラン教授(ロンドン大学)によって一九九○年代初め頃にバーチャルウォーターという概念は産み出されたのです。

日本に関しては、水が足りないからではなく、肉類の生産を支えるに足る土地面積が足りないので食料を輸入し、結果として大量のバーチャルウォーターを輸入しています。そういう意味では、食料の交易によって、水だけではなく、土地や労働力なども海外からあたかも輸入している様なものだ、ということになりますし、逆に畜産廃棄物による環境への負荷は食料そのものの流れとは逆向きに消費国から生産国へ輸出しているようなものだ、ということができます。

8. 世界の水問題と貧困問題

では、水が足りなければバーチャルウォーターによってまかなえば事足りるのでしょうか。

目安として自然条件として一人当たり利用可能な水資源量が年間一○○○立法メートル以下の場合、「深刻な水ストレス」である、とされ、一〜ニ○○○立法メートルでは「やや水ストレス」という風に分類されます。

ある推定では、ニ○○○年時点でニ三カ国が「深刻な水ストレス」だと判定されましたが、バーチャルウォーターを加味して考えると、豊かな国々は「水ストレス」あるいは「やや水ストレス」だと分類されるのに対し、貧しい国々は「深刻な水ストレス」から抜けだせなかったり、せいぜい「水ストレス」へと少し緩和されたりするだけです。

図六はその様子を示したもので、一人当たりGDPが高いほど、自然状態では水不足の国でも、現実にはバーチャルウォーターの輸入によって水が相当分補われている、あるいは食料の輸入によって自国の水を農業用水に使わずに済んでいることが推定されます。

ニ○○○年に国連総会で採択された国連ミレニアム行動目標では、貧困や飢餓に苦しむ人の人口割合を一九九○年に比べてニ○一五年までに半減する、とともに安全な飲み水にアクセスできない人口割合も半減する、と述べられています。まさに、水問題が貧困や飢餓と密接に関連しているという認識の現れです。そして、そこには、貧困によって水へのアクセスがない人を減らそうというだけはなく、水へのアクセスを確保することによって、水の確保に費やされていた労働時間を他の労働や子供の就学時間に振り替えたり、農業生産性があがったりして貧困からの脱却が図れる、という期待も込められています。

9. おわりに

水危機が起こったら、喉が渇く前にまずはお腹が減る、水が足りないとうことは物理的に水が無いのではなく、安価に入手可能な水が足りないことだ、ということを感じ取っていただけたでしょうか。

水問題と聞いて、水道の蛇口からの水だけを思い浮かべるのではなく、食べ物を作る水、飲み水にも事欠く世界の人々の水にも思いをめぐらせることが重要だと思います。