千葉県立中央博物館 平成23年度企画展「出羽三山と山伏」
展 示 内 容
山伏ってどんな人?
 山伏とは、修験道の実践者のことです。修験道とは、日本古来の山岳信仰に仏教や道教などが混りあい、平安時代の中頃にできた日本独自の実践的な宗教です。大きな力を持つ山にこもり、煩悩や穢れを振り払い、山の清浄な力を得て超自然的な力を身につけるのです。常に山中にあった山伏たちは、豊富な自然の知識を持つ博物学者でもありました。
月山
山伏装束の意味(坂本大三郎氏画)
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出羽三山とは
 出羽三山とは山形県の中央に位置する月山、羽黒山、湯殿山の3つの山をさします。羽黒山頂の池から出土した大量の平安時代の鏡によって、すでにこの頃には山伏が活動しており人々の信仰を集めていたと考えられます。
月山
山形盆地からみた月山(八木浩司氏撮影)
 羽黒山の縁起では、開祖は崇峻天皇の皇子、能除太子(蜂子皇子)とされています。諸国行脚の旅に出た皇子は三本足の烏に導かれ羽黒山にたどり着き修行の地と定めました。一方湯殿山の縁起では、湯殿山の開山は弘法大師空海であるとしています。
月山
開山御尊像(出羽三山歴史博物館蔵)
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峰入り修行
 山伏になるには厳しい「峰入修行(峰入り)」に参加しなければなりません。羽黒修験では旧暦7月末に行われる「秋の峰」入ることで、山伏になれます。現在でも8月下旬に10日間にわたりおこなわれています。
峰入り
山伏の峰入り(いでは文化記念館)
 この修行の目的は、山に入り苦行を重ね、迷いと穢れを払い生きながら神仏と一体になり、この世に生を受けたもの全てを救済することです。修行者は六道輪廻と4つの悟りの世界、合わせて十界を体感する修行を通して「即身成仏」を成し遂げます。
観心十界図
紙本著色観心十界図(千葉県指定有形民俗文化財・宝聚院蔵)
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山伏のむら
 常に山々を巡り修行を重ねていた山伏は、江戸幕府の政策により霊山の麓に定住するようになりました。月山の登山口にも大きな寺院を中心に山伏が集まったむらができました。夏場は参詣に訪れる人々を泊める宿坊を営み、登拝の案内をし、冬場には布教にまわり信者の獲得を目指しました。出羽三山から遠く離れた関東地方は新開地であり、山伏が積極的に歩き回る強化地域でした
手向集落
山伏のむら・現在の手向集落(いでは文化記念館)
 参詣者が来ない冬の時期、山伏は信者の住む里を巡って次回の参詣を勧めました。その布教の旅には、お札や暦の他、「寒水石」という薬も持ち歩きました。止血効果があり、風邪薬にも、胃腸の薬にも、眼の薬にもなりました。
寒水石
寒水石(木更津市郷土博物館金のすず蔵)
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即身仏と於竹大日
 出羽三山と聞いて即身仏を思い浮かべる方は多いでしょう。日本にある即身仏15体のうち、9体が湯殿山の山伏のものです。湯殿山を開いたと伝える空海が土中入定したという伝説に影響を受けたものです。多くの伝説が残り、自身も七五三掛注連寺に即身仏として祀られている鉄門海上人の活動によって、即身仏は人々の信仰の対象となりました。
鉄門海上人版木
版木 鉄門海上人お姿(海向寺蔵)
 幕末の江戸、於竹という女性の浮世絵が飛ぶように売れました。慈悲深い下女於竹は生きながら大日如来になり、その等身大の大日如来像は羽黒山の黄金堂に納めらました。於竹大日如来は幕末の江戸で出開帳され、人気を集めました。下女が一夜にして大日如来になったシンデレラ・ストーリーは、羽黒山の山伏が都市の人々むけに仕掛けた布教戦略でした。
於竹浮世絵
浮世絵 婢女於竹之説 豊国画(禅源寺蔵)
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房総の出羽三山信仰
 江戸時代には、里に定住した山伏もいました。里に住んだので「里山伏」と呼びます。房総にも羽黒派の里山伏がいました。彼らは病気治しや、失せ物探しなどの祈祷をしたり、三山参詣の際には同行したり、行人と呼ばれる三山の信者に祈祷方を指導するなど、出羽三山の出張所的な役割をはたしていました。
「結縁院号之事」という書状は里山伏に与えられた"山伏免許状”です。
結縁院号之事
結縁院号之事 明治2年(有吉八日講蔵)
 正式な山伏ではない出羽三山信仰の信者を「行人」と呼び、今でも房総には多くの行人がいます。実践的な宗教である修験道では、行人の活動も実践的です。俗世間とは離れて数日間行屋にこもり、水垢離をとり精進潔斎し、護摩を焚くなどの修行(行)をおこない、村の安全を祈願しました。行人は累計108日間の行を重ねることを目標としました。その日数を書き留めたのが「御行日数覚帳」です。
御業日数覚帳
御行日数覚帳、如来前供物覚 文政2年(大寺八日講蔵)
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出羽三山参詣の旅
 月山への参詣は行人にとって、一生に一度は行かなくてはらないものでした。江戸時代は途中の神社仏閣や観光地をまわり、40日を超す長旅でしたが、出羽三山での滞在はわずか3日です。農作業の忙しい時期に、多額の費用をかけてまで参詣した出羽三山は、房総の人々にとって特別な場所だったのでしょう。
湯殿月山羽黒山参詣案内記
湯殿月山羽黒山参詣案内記(いでは文化記念館蔵)
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