デジタルミュージアム・特集『日本博覧図』

後編-186 小湊山誕生寺境内真景こみなとさんたんじょうじけいだいしんけい

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旧町村名現市町村名絵師彫師寸法
長狭郡湊村安房郡天津小湊町小湊芳雄伊藤翠昆横48.7×縦34.1cm
誕生寺の発端は、建治二年(1276)当時55歳の日蓮の発意で、生誕地かつ生母梅菊の蘇生延寿の記念地でもあった現在の祓崎南端に、弟子の日家が精舎を建てたことにある。図中右上の、「妙ノ浦」に突き出た「蓮華潭」あたりである。その後、明応七年(1498)の地震で壊滅し、妙の浦の岡に再建。さらに元禄の大地震(1703)で、妙の浦の地も水没。従って、図に描かれた字小湊山の地には、宝永年間(1704〜11)に水戸徳川家の支援などを得て再建されている。ただし、再三にわたる火災のため、再建時の建物は宝永三年(1706)建立の「山門」のみである。現在の「祖師堂」は、天保年間(1830〜44)に10年の歳月をかけて再建されたものである。また図中波打ち際の旧坊跡も、今は旅館や土産物屋などが建ち並び、景観が一変している。

2005年1月 歴史学研究科