教室博日記 No.1865

 2020/09/11(金)

 三島小で気になるもの

 9月の第2金曜日、三島小教室博物館の開館日だ。今年度は房総の山のフィールド・ミュージアム(以下山FM)のメンバーだけでなく、山FMが所属している生態学・環境研究科の職員も交代で教室博物館を担当することになり、今回は環境教育や植物生態学が専門の林浩二氏と一緒に三島小に向かった。9月の半ばというのに、真夏のような入道雲が見られたが、天気は不安定で時折雷鳴もあり、午後からは黒雲が広がった(写真1)。それでも数名の来館者があり、感染防止対策のひとつである検温と手の消毒をしてから中に入っていただいた(写真2)。

  • 写真1 午後から黒雲に覆われた
  • 写真2 感染防止対策の検温をして中に入る来館者の皆様

 教室博物館のある三島小は、今年の3月で閉校となり、子ども達は少し離れた清和小学校に通っている。子ども達の声がしないのは寂しいが、校舎の内外には、長い歴史を感じさせるものがたくさんあり、興味深い。そのひとつが、レトロな雰囲気がある木造校舎である(写真3)。教室博物館もこの木造校舎の一角にある。ここは普通教室や職員室などがあった校舎とは別棟で、図書室や音楽室、図工室、理科室など、いわゆる特別教室が置かれていた(写真4)。廊下にはその名残の教材などが残っている。個人的に関心を持ったのは、中部地方の地形模型である(写真5)。これもまたレトロな立体模型で、最近のデジタルな地図に見慣れた目には新鮮に映る。

  • 写真3 教室博物館のある建物
  • 写真4 廊下に残る特別教室のサイン
  • 写真5 中部地方の立体地形模型

 一方広い校庭にもすみずみまで見るといろいろなものがある。以前の教室博日記でも紹介したが、三島小学校が位置する標高や位置を示す杭(写真6:教室博日記No.1702)、現在は昨年の台風でかなり傾いてしまっている)、未だに置かれた理由がはっきりしないが、1964年の東京オリンピックを記念して建てられた碑である(写真7:教室博日記No.1717)。そのほか、以前ここに三島中学校があったことや、三島小学校の長い歴史を示す立派な石碑もある(写真8、9)。各地の古い小学校には定番と言われている二宮金次郎(尊徳)の像があるのも微笑ましい(写真10)。

  • 写真6 三島小の標高を示す杭
  • 写真7 1964年東京オリンピックを記念して建てられた碑
  • 写真8 三島中学校が置かれていたことがわかる石碑
  • 写真9 三島小の長い歴史がわかる石碑
  • 写真10 二宮金次郎の像

 そして最後は、学校の校庭には必ずある(?)百葉箱である(写真11)。言わずもがな、温度計など気象観測用の器具を入れておくものであるが、今回同行の林さんが何気なく覗いてみると、気圧計の目盛りの周囲にアシナガバチの一種がたくさんたまっている(写真12)。最初死んでいるのかと思ったが、もぞもぞと動いている。なぜ百葉箱を巣の代わりにするようなことになったのか、専門家(元中央博自然誌・歴史研究部長の宮野氏)の意見を聞いてもらったところ、「近くにあった巣が人為か自然現象のいずれかで壊されて、雨宿りする場所を求めて隙間があった百葉箱にはいったのではないか」ということであった。また秋のこの時期なので、個体の構成は、新女王・オス・働きバチ(メス)で、働きバチはじきに寿命となり、新女王もオスも食べ物がないと気温の低下とともにその場を離れていくので、冬までにはいなくなるであろうとのことである。しかし働きバチは、手を出せば攻撃してくることもあるので注意が必要だという。また林さんからは、働きバチ以外はよほどのことがない限り攻撃してくることはない(オスにはそもそも産卵管の針がない)ということも聞いた。三島小で今一番気になるのは、このアシナガバチの生態かもしれない。

  • 写真11 かなり古びた百葉箱だが・・・
  • 写真12 百葉箱の気圧計の目盛りの下の方にかたまっているアシナガバチ(撮影 林浩二氏)

(八木令子)