水郷の原風景 もくじへ


1 水郷と十六島の誕生
佐原に潮来そして牛堀ー。このあたりは水郷と呼ばれている。いずれも河岸場のあったところで、近世以降、物資文物の行き交うなかで大きな賑わいをみせていた。かの『広辞苑』にも、「すいきょう」の項に「千葉・茨城両県にまたがる水辺地域の称」とあるのは、この地をして水郷というに万人の周知とする証でもあろう。そして、その対岸にひとつの島、通称、水郷十六島がある。
 十六島は、利根川本流をはじめ常陸利根川・横利根川と、周囲を河川にまかせ、まさに“シマ”と呼ぶにふさわしい景観を持ちそなえている。まぎれもなく水郷の中核にあたる。本来十六島といえば、近世初頭の新田開発によってなった16ヶ村をいったが、今日では、このシマそのものを指していうようになっている。ここは、古きにおいては香取の海と称し、広大な内海であったが、利根川の瀬替えによって土砂の流入をみると、次第に砂州群を生み出す結果となり、やがて州は島となりして確たる姿を現していった。加えて、開拓の手が入ることで、何年も何代もかけて少しずつ耕地が増やされ、一大穀倉地とまでいわれるになったのである。こうしたことから、以前は俗に“吐き流し”と呼ばれ、少なくも年に1度の水禍は必至とされていた。唯一、高さのあることろといえば、周縁の自然堤防上に構えた集落地と、かつて1周7里半といわれたシマの外堤にすぎない。いわば盆のようなところである。 
図2 十六島概略図 図3 十六島全図 写真3 千葉県下総国香
取郡十四ヶ村全図
写真5 十六島全景

※なお、図と写真の番号は、写真集「水郷の原風景」に準拠しています。また、各資料に付してある番号および資料名は便宜上のものです。図と写真の所蔵者は千葉県立大利根博物館です。