てんぐさわのすいろ

7 天狗沢の水路


大原町

産業関係・農業・用水

全長約400m,幅45〜50cm,高さ140cm
江戸末期〜明治初期

大原町と夷隅町の境の山間部に残る天狗沢の水路は,この地区の素封家で土木技術に長けていたという渡辺善右衛門によって完成された。竣工年代は特定できないが,およそ江戸末期〜明治初期であると考えられている1)。

現在,取水口から先はダムの底に水没しているために確認できないが,全長は2,000m近くに及んだものと思われる2)。

この山田地区には本水路の他にも彼の手による水路が遺っているが,現在もなお使用されているのはこの天狗沢の水路だけである。

およそ10軒の農家が水路の受益者で荒畑水利組合を組織し,水路の維持管理にあたっている。

水路は全長およそ400m。山腹を通過し反対側へと通じている。トンネル内部は平均して幅50cm,高さ150cmで,「二五の穴」と呼ばれる房総地方で標準的なサイズである。

1879(明治12)年渡辺善右衛門はこの地区の水路工事の後,養老川の治水事業に乗り出す。

1885(明治18)年には私財を投じて画期的な西広板羽目堰を完成させている。この西広板羽目堰は板を組み合わせたポータブルの堰で,短期間で容易に組立ができる。水量の調節が可能である。繰り返し使用できる,など優れた特徴を持ち,養老川の治水に大きな役割を果たした。しかし,渡辺の晩年は恵まれたものではなく,水路の完成までに試行錯誤を繰り返し,貧困の中,自らの堰守をしながら没したという。

(齊藤 望)

地形図 「大多喜」(略)

写真7-1 山腹を写真右から左へ水路が走る (1997年) 写真7-2 水路内部 (1997年)

参考文献

1) 大原町史編さん委員会:大原町史,大原町
2) 山田地区公図 大原町土木課


Back
Home
Up
Next