にしびろけかんづめこうじょうあと

8 西広家缶詰工場跡


銚子市

産業関係・漁業・水産加工場

間口15m,奥行38m,木造2階の部分迄4.5m
1938(昭和13)年頃

西広家は1938(昭和13)年頃の,銚子を代表する船主で当時鰯漁が非常に盛んで,新鮮で豊富な青魚に着目,生魚の販売よりも,いたみの早い鰯の保存食料として,これを加工し,缶詰とすることにのり出した。鰯に限らずさんま,鯖の水産缶詰の製造に着手する。従来は広い敷地内に干鰯として豊富に鰯を加工していた。現在は,漁船主として漁業に専念し,水産加工業は行われていない。工場は,車庫がわりと物置に使用されている。面影を残すものは,建物と貯魚場および洗魚用のコンクリート造りの貯蔵場だけである。

記録は定かではないが,缶詰協会の発行する缶詰史によれば,銚子市内の個人が経営する缶詰所が企業合同令によって1940(昭和15)年に銚子合同缶詰株式会社として設立され,その一工場として生産活動が行なわれたが,1947(昭和22)年,合同缶詰会社が解散されると同時に,缶詰製造は行なわれなくなった。その後は,漁業に専念し,主として,鰯・鯖・あじなどの御嶽丸の船主として漁業に従事している。その漁網の倉庫がわりとして,この建物は利用されている。今の所,この建物を取壊し,新しい倉庫を建てる計画はない。いたみがひどく外壁の板をスレートに1955(昭和30)年頃とりかえている。

太平洋戦争中の1945(昭和20)年7月の大空襲により,銚子市の大半は,焼失したが幸いにも被災をまぬがれ,創建当時の建物をそのまま残している貴重な建造物である。

(広野平蔵)

地形図 「銚子」(略)

写真8-1 入口のシャッターは昭和30年に取りつけ (1997年) 写真8-2 昭和13年に建てられた工場と連結する (1997年)
写真8-3 工場内部,骨組みは当時のもの (1997年)

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