ひがしあびこいちりづか
40 東我孫子一里塚
我孫子市 |
交通関係・道路・道標 |
上底面直径4m,下底面直径12m,高さ3m(台柱)
江戸時代 |
東我孫子一里塚は,旧成田街道の1番目の塚である(41 湖北一里塚と関連あり)。
旧成田街道は,我孫子を起終点とし,下ヶ戸(東我孫子:成田線東我孫子駅南約200m)・中峠(湖北:湖北農協前)・布佐(現在石碑のみ:消防出張所脇)・中田切・須藤堀・紅葉内の各一里塚(高野山道,通称:佐竹街道)を通っていた1)。
調査により,盛土の構造は図のようになっており,数本の榎木が植えられている。また,塚の周辺に多くの杉が植えられ,保存状態もかなり良い。
写真からもわかるように千葉県が1934(昭和9)年に石碑を建立している。
石碑には,
“一里塚遺跡 一里ハ慶長九年徳川家康ノ築設
ニ係ルモノニシテ江戸日本橋ヲ起点トシ全国ノ
主要ナル道路ノ両側ニ一里毎ニ塚ヲ築キテ榎樹
ヲ以テ里程ヲ明ラカナラシムルト共ニ行路往還
ノ旅情ヲ慰メタルモノナリ 昭和九年千葉県”
と記載されている。付近の住民に話を聞くと,以前,塚は二基あったとのことであるが,現在は一基しか存在していない。
本一里塚は旧成田街道の一里塚として,存在価値が十分にあると考える。
(小山 茂)
地形図 「取手」(略)
写真40-1 東我孫子一里塚(1997年) | 写真40-2 東我孫子一黒塚の周辺(1997年) |
図40-1 東我孫子一里塚の構造 |
参考文献
1) 長谷川一: あびこ版 水戸土浦中絵図,我孫子市教育委員会,1988年