こほくいちりづか

41 湖北一里塚


我孫子市

交通関係・道路・道標

下底面直径8m,高さ2.6m(台柱)
江戸時代

湖北一里塚は,旧成田街道の2番目の塚で(40 東我孫子一里塚と関連あり),国道356号線沿いにある。

調査により,盛土の構造は図のようになっており,東我孫子一里塚と同様に千葉県の石碑があるが,保存状態は悪い。東我孫子一里塚との相違点は庚申塔(こうしんとう)と大師を祭る社があり,一里塚の重要性が表されているものと考えられる。

過去の文献によると,明治以前日本土木史には,「宮本當代記」を詳解しており,

八月中関東従右大將秀忠公,諸国道路可作之由御使相上,廣サ五間也,一里塚五間四方也,関東・奥州迄右之通也,木曾路同如此,

の記述があり,道の両側に五間四方(約9m)の小山形の塚を造り,塚の高さ十五尺(約4m),植樹は多くが1本(複数もある)で,種類は榎木が多いと解説している1)。

本一里塚は,東我孫子一里塚に比べ,単独での存在価値は乏しい。しかし,東我孫子一里塚と湖北一里塚の存在は,位置関係や一里塚の種類の違いを把握できるため価値があると考える。

(小山 茂)

地形図 「取手」(略)

写真41-1 湖北一里塚(1997年) 写真41-2 湖北一里塚とその他の施設(1997年)
図41-1 湖北一里塚の構造

参考文献

1) (社)土木学会: 明治以前日本土木史,岩波書店,1936年


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