すのさきかいぐんこうくうたいぼうかようすいあと

82 洲ノ埼海軍航空隊防火用水跡


館山市

その他・軍施設

1943(昭和18)年頃

洲ノ埼海軍航空隊は,1943(昭和18)年6月に横須賀海軍航空隊から独立し,館山海軍航空隊に隣接する館山市笠名から大賀にかけての一帯に開隊された。当時日本で唯一の航空兵器整備航空隊であり,航空兵器整備学生・特修科生,航空兵器整備予備学生,航空兵器整備練習生を教育する目的があった。

海軍は「学校」とは呼称していないが,普通科と高等科に分かれ,射爆・無線・写真・光学・魚雷・電探・雷爆などの課程がおかれていた。

訓練内容は,射爆兵器班が戦闘機攻撃用7.7mm機銃や20mm機銃の分解結合,プロペラ・カムの調整と装 射撃の方法,爆弾の構造や爆装投下,毒ガス兵器に関すること。無線兵器班は航空機の無線機搭載と送受信・分解・修理などの電波に関すること。写真兵器班は偵察機への写真機搭載,撮影・現像・焼付など写真に関すること。光学兵器班は戦闘機・攻撃機への照準機搭載などであった。指導教官には,実戦経験者が置かれた。

全国の工農学部系大学・高専からきた兵器整備予備学生は,1943(昭和18)年10月の336名(1944年5月1日卒業)をはじめとし,翌5月には139名,同10月には600名が入校しているほか,1944(昭和19)年6月には土浦海軍航空隊から予科練が900名,同7月には850名,洲ノ埼海軍航空隊に派遣されている。

施設は練兵場を中心に,本部庁舎,兵舎,講堂を主な建物とし,練習機や教材飛行機の格納庫,木工鉄工作業場,道場,士官宿舎,酒保,ボイラー室,放水場,倉庫,浴場,神社,相撲場などで構成され,一部はコンクリート塀で囲まれていたという。

洲ノ埼海軍航空隊の施設のうち,3階建の計器伝習所は近年まで国立館山海員学校の校舎として使われていたが取り壊された。館山市笠名の旧練兵場跡地には,爆撃により一部が破損しているが,防火用水貯水施設が残っている。

(杉江 敬)

地形図 「館山」(略)

写真82-1 洲ノ埼海軍航空隊防火用水跡(1997年)

参考文献等

1) 館山市史編さん委員会:館山市史,館山市,1971年
2) 館山市立博物館:地区展図録?ー館山ー,1989年
3) 愛沢伸雄:戦跡フィールドワークー東京湾要塞地帯に戦争の傷跡をみるーレジュメ,館山市館山地区公民館,1997年
4) 鶴岡五郎氏等からの聞き取り


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