すのさきかいぐんこうくうたいしゃげぎじょう

81 洲ノ埼海軍航空隊射撃場


館山市

その他・軍施設

1943(昭和18)年頃

1943(昭和18)年6月,館山海軍航空隊の隣接地である館山市笠名に,洲ノ埼海軍航空隊は開隊された。太平洋戦争の局面が,次第に不利になりつつあるところだった。

この航空隊は,第18連合航空隊に編入されるとともに,練習航空隊に指定された。練習航空隊の目的は,航空兵器整備学生,特修科学生,航空兵器整備予備学生,高等科および普通科航空兵器整備練習生を教育することにあった。練習航空隊は飛行と整備に分けられ,前者には操縦と偵察,後者には兵器整備と飛行機整備の役割があった。

開隊当時,洲ノ埼航空隊は日本で唯一の兵器整備練習航空隊であり,航空兵器改良整備のスペシャリスト養成学校であった。普通科と高等科が置かれ,工農学部系大学および高専からきた練習生は,普通科を卒業すると実働部隊に配属されたが,入隊して1〜2年後に再び高等科に入学する課程もあったという。

米軍の高性能な航空兵器に対抗するために,射爆・無線・写真・光学(その後,魚雷・電探・雷爆など)の専門教程が設けられた。

そのうち,射爆兵器班の教育訓練内容は,航空写真機,照準機,無線モールス信号,弾道爆弾の落下速度,実験解毒,爆弾の構造,模擬爆弾による爆装投下,毒ガス兵器に関することのほか,戦闘機攻撃用7.7mm,機銃,20mm機銃の分解結合,13mm機銃の取扱い,カム調整,装 射撃の方法について,教程が行われた。

館山市笠名の丘陵崖面には,射爆兵器班が零戦などを使用して機銃整備訓練をしたトンネル状の射撃場的が5基残っている。この周辺の安房丘陵の地質が,新第三紀に形成された,主に凝灰岩・砂岩・泥岩からなるやわらかい地質であることが関係するのだろうか,切り立てた崖面はコンクリート壁となっている。壁面に残る銃痕から当時の様子が偲ばれる。

(杉江 敬)

地形図 「館山」(略)

写真81-1 洲ノ埼海軍航空隊射撃場(1997年)

参考文献等

1) 館山市史編さん委員会:館山市史,館山市,1971年
2) 愛沢伸雄:戦跡フィールドワークー東京湾要塞地帯に戦争の痕跡をみるーレジュメ, 館山市館山地区公民館,1997年
3) 鶴岡五郎氏等からの聞き取り


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