第1節 日本の医学史と世界の医学史  第2節 日本の眼科史と蘭学
★高野家の概要
 年表にあるように、高野家の医家活動は、18世紀半ばから20世紀初頭にかけておこなわれた。実は、高野家で医師として活躍した人物は6人おり、その内の4人が「敬仲」を名乗っていたことが分かっている。
 また、高野家が活動した時代は、まさしく「幕藩体制の確立→不完全な鎖国政策下における洋学(オランダ医学)の発展→黒船来航→開国→明治維新(ドイツ医学へ)」という医学界においても大きな変化や進歩が見られた時代と一致している。
 本章では、江戸期から明治期にかけての医学史を6つのブロックに分け、高野家が医家活動を行っていた時代の歴史的背景を追いかけていきたい。
第1節 日本の医学史と世界の医学史〜医学における先人達の活躍〜
日本の動き A.D. 世界の動き
・ポルトガル人、種子島に漂着
 (鉄砲伝来)
←1543年→ ・ブェサリウス(伊)
 『人体の構造』
・コペルニクスが地動説を唱える
・アルメイダ(保)豊後府内(大分市)で、治療に当たる
 西洋医術伝来のはじめ
←1556年 
・スペイン、イエズス会キリスト教を伝える ←1549年 
 1558年→ ・エリザベス1世即位(英)
 南蛮医術伝来の時代 
・家康、江戸に入る
・小田原の薬種商益田友嘉が日本橋で、薬店を開く
 江戸薬商のはじめ
←1590年 
・オランダ人、初めて九州平戸にくる。 ←1597年 
--------------------------------------- 江戸 -----------------------------------------
・家康、征夷大将軍となり幕府を開く ←1603年 
・天然痘流行、死者多数 ←1619年 
 1628年→ ・ハーヴェイ(英)
 『心臓と血液の運動』
・長崎に出島を造り、外国人居留地とする ←1634年 
・日本人の海外渡航・帰国を禁止 ←1635年 
・ポルトガル船の来航禁止、鎖国完成 ←1639年 
紅毛医術への移行の時代
 1643年→ ・ルイ14世即位(仏)
 1644年→ ・清が中国を統一
 1654年→ ・グリッソン(英)「肝臓の解剖」
 1660年→ ・マルピーギ(伊)毛細血管を発見する
・カスパル(独)が、蘭館医として来日
(蘭館医、江戸参府随行の初め)
←1649年 
 1664年→ ・ウィリス(英) 「脳の解剖学」
 1655年→ ・フック(英)細胞の発見
 1673年→ ・レーウェンフック(蘭)
 「赤血球の発見」
・麻布御薬園を小石川御殿地内に移し、小石川御薬園と改称 ←1684年 
 1688年→ ・名誉革命起こる(英)
・ケンペル(独)が、蘭館医として来日
・富山の配置売薬の始まり
・江戸に昌平坂学問所創設
 (現湯島聖堂)
←1690年 
オランダ医術興隆の時代
・水戸藩医穂積甫庵が光圀の名を受け家庭医学書『救民妙薬』を著す ←1693年 
・新井白石『西洋紀聞』を著す(洋学書のはじめ) ←1710年 
・江戸元町の薬種問屋24人が「薬種問屋仲間」を結成、公許される ←1715年 
・吉宗、洋学の禁をゆるめる ←1720年 
・小石川御薬園内に「養生所」を設置 ←1722年→ ・クルムス『解剖図』
実証的医学勃興の時代
 1755年→ ・チン(独)「人眼の解剖」
・山脇東洋『蔵志』刊行(観臓図書の始め) ←1759年 
⇒高野家が医業に携わった期間
・河口信任『解屍篇』を著す ←1772年 
・杉田玄白ら『解體新書』5巻を著す ←1774年→ ・ルイ14世(仏)即位
 1776年→ ・アメリカ独立宣言(13州)
 1789年→ ・フランス革命
・稲村三伯、『ハルマ和解』(江戸ハルマ)
 日本洋学事典翻訳の始め
←1796年→ ・ジェンナー(英)牛痘接種法発見
 1798年→ ・トラコーマヨーロッパで流行
・華岡青洲、世界初の全身麻酔に成功
 (乳癌の手術)
←1804年→ ・ナポレオン(仏)皇帝となる
・杉田立卿『眼科新書』 ←1815年→ ・プレンキ(墺)『解剖図』
 1816年→ ・ラネエック(仏)聴診器の発明
・伊能忠敬、大日本沿海地図完成 ←1821年
オランダ医学全盛の時代
・シーボルト(独)蘭館医として来日 ←1823年 
・薬剤師ビュルヘル(独)がシーボルトの助手として来日
 西洋薬学者来日のはじめ
・シーボルト、長崎に鳴滝塾開き、高野長英・伊東玄朴 ら入門
←1824年 
・黒船来航 ←1827年 
・高野長英『医原枢要』(日本初の生理学書) ←1832年 
・緒方洪庵大阪に適塾を開き、蘭学を教授。 ←1838年 
 1839年→ ・アヘン戦争
 1847年→ ・マルクス、エンゲルス「共産党宣言」
・長崎の海軍伝習所に蘭医ポンペを招聘 ←1857年→ ・第1回国際眼科学会(ブリュッセル)
・安政五カ国条約締結 (不平等条約) ←1858年→ グレーフェ(独)、急性緑内障に対する虹彩切除
・安政の大獄・尊皇攘夷運動弾圧
・福沢諭吉、江戸で蘭学塾
・神田お玉ヵ池に種痘所を設立
・幕府、医師に和蘭医術兼修を許可


・フィルヒョー(独)、「細胞病理学」
・ドンデルス(蘭)、遠視の原因発見
・桜田門外の変 ←1860年 
・伊東玄朴が薬品製造を開始
・種痘所を西洋医学所と改称
・疱瘡が流行、熱病と眼病が増える。
←1861年→ ・アメリカ南北戦争
・麻疹とコレラ流行 ←1862年→ ・第2回国際眼科学会(パリ)
・スネレン(蘭)視力表
・薩英戦争 ←1863年→ ・リンカーン(米)、奴隷解放宣言
・西洋医学所を医学所と改称
----------------------------------------- 明治 -----------------------------------------
ドイツ医学へ移行の時代
・江戸城明け渡し(大政奉還)
・東京に遷都
←1868年 
・政府、ドイツ医学採用を決定
・蘭館医ポンペ『眼科摘要』
←1869年→ ・ランゲルハンス(独)膵臓にラ ンゲルハンス島細胞を発見
・種痘法施行 ←1870年 
・廃藩置県(3府72県)
・貨幣を円・銭・厘と定める
←1871年 
・学制発布・太陽暦を採用
 (明治5年12月13日→明治6年1月1日)
←1872年→ ・第4回国際眼科学会(ロンドン)
・東京湯島に佐倉順天堂病院が開院(現在の順天堂大学) ←1873年 
・文部省、医制を制定 ←1874年→ ・グレーフェ『眼科全書』
・医術開業試験の施行
・天然痘予防規則を制定・強制種痘
←1875年 
 1877年→ ・第5回国際眼科学会
・東京本所にコレラ患者隔離の病院を開設 ←1879年→ ・クレーデ、新生児膿漏眼の予防法
・伝染病予防規則を発布 ←1880年→ ・第6回国際眼科学会(ミラノ)
 1882年→ ・コッホ(独)、結核菌発見
・医師免許規則改正(漢方医没落) ←1883年→ ・コッホ(独)、コレラ菌発見
 1888年→ ・第7回国際眼科学会(ハイデルベルグ)
・大日本帝国憲法発布 ←1889年→ ・フックス『眼科学教科書』
・第一回帝国議会・教育勅語発布
・日本医学会創立
←1890年 
・第一回医学開業試験・薬剤師試験実施 ←1891年 
・伝染病研究所創立:所長 北里柴三郎 ←1892年 
・赤痢患者 167,305人
    (死者41,284人)
・天然痘患者 41,899
    (死者11,852人)
←1893年 
・北里柴三郎、ペスト菌発見 ←1894年→ ・第8回国際眼科学会(エジンバラ)
・日本眼科学会創立
・志賀潔、赤痢菌発見
←1897年 
・この年、医師40,287人 薬剤師3,000人となる   1899年→ ・第9回国際眼科学会(ユトレヒト)
・富士川游『日本医学史』 ←1904年