3.滞欧時代
 明治31年(1898)7月、東京美術学校教授に任命された浅井忠は、1年7ヶ月後の33年(1900)2月には、文部省から西洋画研究のため2年間のフランス留学を命じられ、渡仏しました。
 すでに40歳代半ばとなっていた浅井は、留学中特定の画家に師事したりはしませんでしたが、印象派の絵画や、当時パリで隆盛を極めていたアール・ヌーヴォー運動に共鳴するとともに、パリ郊外のグレーやフォンテンブローに滞在して、詩情あふれる水彩画や油彩画を遺しました。

「フォンテンブローの夕景」
「フォンテンブローの森」 「グレーの塔」 「農婦」


 
「パリ公園」 「西洋婦人」 「洋上の夕陽」

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