同36(1903)年以来、昭和18(1943)年まで母校に務め、鋳金史、彫金史などを講義します。明治41(1908)年、同志と東京鋳金会を創立。
多くの博覧会の審査員、日本美術協会、東京彫工会、日本金工協会などに作品を発表し、審査員や幹事を務めています。
大正3(1914)年、東京鋳金会を発展させた青壺会を津田信夫らと結成。同8年、農商務省工芸展の審査員。同14年、同士と工芸済々会を創立。
その後、帝展の工芸部設置に尽力し、昭和2(1927)年の設置後は、委員、審査員をつとめます。昭和9(1934)年、帝室技芸員。同10(1935)年、津田とともに帝国美術院会員となります。
また、昭和4(1929)年、国宝保存会委員、同8(1933)年、重要美術品等調査委員会委員など文化財の保護にも努めました。同28(1953)年に文化勲章を受章しました。
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