第12章 アサリから見る三番瀬![]() 変動を伴いながら減少 アサリは北海道から九州まで生息する日本の干潟での最も重要な漁業生物の一つで、生産量は1968年〜86年は年間12万〜15万トンで比較的安定していましたが、1986年を境に減り10万トンを下回っています。これは東京湾、千葉県でも同じような傾向で、千葉県では1981年〜93年は1万〜1万5千トンを維持していましたが、1994年に1万トンを下回って以来回復せず、2001年は5千トンを下回っています。千葉県のアサリ漁場は木更津市、富津市、千葉北部(市川・船橋市地先=三番瀬)の三地区で、木更津、富津地区は積極的にアサリの種苗(稚貝)放流を行っていますが、三番瀬では自然発生に依存しており、生産量の激しい変動を伴いながら大きく減少する傾向を見せています。船橋市漁業協同組合の調べでは、2002年度のアサリの漁獲高が745トン、金額で9,800万円で、金額で見ると同組合の総漁獲高の11.3%を占めています。ただし、こうした数字は年度によって大きく変動しています。 1984年から2002年にかけての19年間の船橋市漁業協同組合のアサリ漁獲高を見ると、この期間中の最高は1985年の6,024トン、最低は2001年の331トンで、その間には実に20倍近くの開きがあります。しかも、6,024トンとれた翌年の1986年は776トンに激減するなど、漁獲量は非常に不安定な状況になっています。こうした傾向から三番瀬のアサリ漁も衰退の道をたどるのかとあきらめムードもただよっていましたが、2003年は久しぶりの豊漁だったため、この豊漁を今後につなげたいという機運が出ています。 このように三番瀬のアサリ漁業が不安定なのは、三番瀬のアサリが災害による被害を受けやすいためです。三番瀬のアサリに被害をもたらすのは、主に、江戸川からの出水、青潮、そして「減耗」と呼ばれる冬場の大量死です。 三番瀬のアサリの被害 1. 江戸川からの出水 東京湾に注ぐ江戸川放水路で、旧江戸川と分かれた直後の行徳橋に沿って、篠崎水門という可動堰があります。この水門は普段は閉めていますが,台風などで大雨が降ると陸側の浸水を防ぐため、水門を開けます。水門を開けるとそれまでたまっていた粒子の細かい泥がどっと東京湾に流れ出ます。地元の人はこれを出水と呼んでいます。 この泥が海底にたまると貝類を窒息死させてしまうのです。この水門開門は1984年以降は12回行われ、うち86、91、98年は同じ年に2回、91年は3回も開門しています。 表 船橋市漁業協同組合のアサリ漁獲量の推移
この水門開門は1984年以降は12回行われ、うち86、91、98年は同じ年に2回、91年は3回も開門しています。 2. 青潮 青潮が発生すると、カレイやスズキなどの魚が水面近くに浮き上がってきたり、ひどくなるとアサリが大量に死んだりします。 青潮は、ほとんど毎年のように発生していますが、特に大きな被害を出したのが1985(昭和60)年の青潮で、このときには約3万トン、推定で97%のアサリが死んでいます。翌86年は続いて推定へい死率42%の青潮が発生したことと重なって、アサリが大減収しています。大きな被害を出した青潮はその後も1988年(推定へい死率30%)、1996年(推定へい死率46%)などに発生しています。 3. 冬場の減耗 出水、青潮とともに大きな問題になっているのが「冬場の減耗」です。これは毎年10月を過ぎるとアサリが急激に少なくなり、翌年の2〜5月はほとんどとれず、6月ごろようやく回復する現象です。 三番瀬のアサリは、10月を過ぎると身が小さくなって活力を失い、砂中に潜ることができなくなるのです。アサリは砂に潜らなければ生活できないので、潜れないアサリは死んでしまうのです。なぜ砂中に潜ることができないのか、その原因については調査中ですが、次のようなことが考えられています。 まず、原因の一つとして、三番瀬の海底の砂の動き方が激しくなっているのではないかということが上げられています。これは、海底を網のようなもので覆っておくと、アサリは死なないで冬を越せることが分かっているからです。被服物がない海底では、砂が激しく動くためアサリが砂上に押し上げられます。アサリは再び砂中に潜りますが、これが二度、三度と繰り返されると、冬場、活力を失っているアサリは潜る力を失い、死んでゆくというものです。海底の砂の動きについては、深さ10センチぐらいまで動いているという調査結果も出ています。 海底を網のようなもので覆うことは冬場の減耗防止対策になりそうですが、被せた網にはムラサキイガイなど多くの生物が付着して引き揚げるのが大変になるので、労力面など問題から実施されていません。 冬場の減耗のもう一つの原因として栄養不足が上げられています。三番瀬のアサリは10月まではパンパンに身が張っているのが、10月を越すと急激に身が小さくなっていきます。その原因として考えられるのが栄養不足ですが、なぜこの時季から栄養不足になるのか、その原因はまだ分かっていません。 三番瀬の潮干狩り ふなばし三番瀬海浜公園では、海辺のレクリエーションの一環として、毎年4月から6月にかけて、年間35日〜40日ていど潮干狩りを実施し、東京に一番近い潮干狩り場として、首都圏の多くの住民に親しまれています。入場者は毎年10万人以上に上り、ゴールデンウィークには1日の入場者が2万人を超えることがあります。 この潮干狩り場は、天然の貝を掘るのではなく、区画(4区画ある)を定めてそこに地元漁協(船橋市漁業協同組合)が公園からの委託を受けて放流したアサリをとる仕組みで、海辺のレクリエーションの一つになっています。 入場は有料(04年度4歳以上210円、中学生以上420円。団体割引あり)で、とったアサリも重量に応じた料金(04年度200グラムにつき120円)を支払って持ち帰る仕組みになっています。 1983年に始めた頃は、この潮干狩り場にはすぐ沖合の三番瀬でとれたアサリを放流していましたが、今は潮干狩り場オープン中の4、5月は三番瀬だけでなく国内でもアサリがたくさんとれるところはないので、放流するアサリは輸入物に依存しています。輸入先も、当初は韓国、中国からでしたが最近では北朝鮮からも輸入しています。 ふなばし三番瀬海浜公園潮干狩り場 居住地別入場者数
大アサリと呼ばれるホンビノス 三番瀬には、地元の人が「大アサリ」と呼んでいる長さ9〜10センチ、厚さ7〜8センチの二枚貝がいます。本物のアサリではなく、アサリと同じマルスダレガイ科に属している「ホンビノス」という貝です。 ホンビノスはわが国でも東北から北の浅い海の砂底に生息していますが、三番瀬のホンビノスは外国航路船のバラスト水に混じって侵入したのではないかと見られています。 現在三番瀬で生息しているのは、東寄りの船橋航路や防泥柵周辺に限られ、アサリ漁場には進出していないようです。これまでの観察では、泥混じりの砂地で水の汚れているところを好むようです。しかし市川航路にはあまりいないということです。 このホンビノスは青潮に強いという不思議な性質を持っています。02年に青潮が発生して多くのアサリが死んだ海域の中で、ホンビノスは生き残っていました。このためホンノビスの青潮に強いという性質を、アサリにも持たせられないものかということが話題になっています。 ホンビノスはアメリカ東海岸では食用にされており、三番瀬でも地元の人がさかんにとっています。かなり大量にとれ、焼きハマグリのようにそのまま焼いたり、バター炒めなどで食べているそうですが、やや硬いということです。 このホンビノス、ある時突然大繁殖をして三番瀬の生態系を破壊することになる恐れはないのか、あるいは逆に食べ方が工夫されて三番瀬の新しい特産になるか、いずれにしても気になる貝です。 まとめ 三番瀬の海は、アサリを通してみても、数々の問題を抱えていることが分かります。そしてその原因としてさまざまなことが上げられていますが、おおもとを探ると生活廃水・工場廃水などの大量流入による東京湾の水質悪化、埋め立て・海底浚渫などによる環境の変化に行き着きます。東京湾でアサリが正常に育つようにするためにも、こうしたことの防止・改善が必要なことは言うまでもありません。 しかし現実には、東京湾の水質改善もなかなか一朝一夕にはいかないし、埋め立て・海底浚渫を元に戻すこともきわめて困難です。従って、三番瀬でアサリが育ち続けるためには、どうしても人の手による支援が欠かせないように思えます。 三番瀬のアサリ対策については、三番瀬円卓会議でも検討され、提案がなされています。こうしたことを踏まえて、多くの人の合意を得ることのできる有効な対策が、早急に講じられることが望まれます。 (重竹茂) |