第11章 三番瀬の生き物たち



1.海の生物

 “三番瀬には、どんな生き物がどのくらいいるんです?” こうした質問をされるたびに、この人が知りたい情報は何なのだろうと考え込んでしまいます。
 簡単な結論だけを期待している感じの人であれば、“季節にもよるけれど、野鳥ならば40から50種類かな、魚ならば……”などといって、相手の反応を確かめることになるのですが。
 でも、話題の三番瀬です。そんな簡単に納得して欲しくないのです。太平洋に続いている東京湾の一番奥、首都圏のすぐ前に残されたこの貴重な自然を、もっとあなたなりのきらきらした好奇心で、イメージを展開してもらいたいのです。

生き物って、どんな生物のこと?

 よくあるこうした質問の問題点を、整理してみましょう。一見同じような発言に見えても、人によって関心をもっている分野はたぶん違っている。三番瀬の海を初めて見た人もいれば、相当詳しい人もいます。テレビで知っているつもりでも、実物を見ていない人は結構多い!
 そして、回答の内容によって、そこまでで完結してしまうか、自然の不思議に気づき、興味しんしんな次のステップに発展するかの分かれ道になるのだと思うからです。

  1. 生き物というのは、鳥や魚のこと? クラゲや海藻、アサリやプランクトンのことも考えているのだろうか?
  2. 種類数という場合、カモやチドリ、カニや貝の細かい名前の区別まで気にしている人なのか? 生物の種類は多いし、この分類はけっこうむずかしい。
  3. 自然はいつも動いている。風も水も、行政区域の線引きなどとは関係ない。季節変化も含め、環境が変わればそこで暮らすものも変わってくる。

 そう、もっと大きいスケールで考えないと、本当の三番瀬がわかってもらえない。細かい形の区別よりも、季節の風を感じながら生き物たちの暮らしている環境条件から考えることにしよう!
 “母なる大地”とか“母なる海”などという言葉、聞いたことがあると思う。陸の面積よりは、海のほうがずっと大きい。この地球上に最初の生命が発生したのは、38億年ぐらい前の海だといわれている。いま、みんなが暮らしているところは陸の上だけれど、三番瀬の海から海底へも続いている。
 動物たちが海から陸へと上がったのは、4〜5億年ぐらい前の大昔らしい。つまり、生物の進化の表舞台はずっと海の中だったのです。
 ここ数十年の分子生物学の進歩で、地球上のあらゆる生物がすごく似た遺伝子構成をもっていることも判ってきました。みんなつながっているらしい。
 2003年は、ワトソンなどがDNAのラセン構造を発表して50年になります。そして、ヒトゲノムの解析完了の年でもあったことは知っていたかな?

海は豊かだけれど、きびしい

海は地球の7割を占めています。一番深いマリアナ海溝は11000m、海の平均深さは3800m。陸地の高低差よりもずっと大きい。この海で暮らすための条件も整理しておきましょう。
  1. 海水は、3%程度の塩分を含んでいる。“青菜に塩”、浸透圧の問題にどう対応するか。
  2. 水圧は10m潜ると1気圧の割りで増加する。大気圏とは違う。深海で暮らす生き物もいる。海中を垂直移動するものもいる。
  3. 水は空気よりも温度変化しにくい。1000m以下の海は、ほぼ4℃で一定している。
  4. 深海では、海水は栄養の少ない暗黒の世界、食物連鎖を考えるとかなりつらい生活条件。
こうした海の一般状況を考えると、干潟と浅海域の三番瀬が生物にとって、いかに恵まれた条件であるかが納得できると思います。

水環境からの分類

 三番瀬で生息する生物種の名前をあげると大変な数になるので、ここでは水環境の視点から、大きく3つに分類して話を進めましょう。
* 水の流れにまかせて漂うもの・・・プランクトン(浮遊生物)。
* 水底に沈んで生活するもの・・・ベントス(底生生物)。
* 遊泳力があり自分で移動できるもの・・・ネクトン(遊泳生物)。
しかし、この区別もかなり流動的です。というのは、それぞれの生物にとって、形、つまり生活方法は成長の過程で変化するものもあるからです。たとえば、親から生み出されたばかりの魚の卵や稚魚は、動物プランクトンですが、成長すればネクトンになる。エビやヒトデの仲間も幼時はプランクトンですが、成体はベントスとなるようにです。
 生物の大きな分類は、ひと昔前までは動物と植物に分け、キノコやバクテリアは植物の仲間に入れていました。しかし、有機物の生産・消費・分解という生態系の立場から、今では植物・動物・菌類と3区分するようになりました。もっと正確にいうと、カビや原生生物、シアノバクテリア(藍藻類)や細菌類と2つ加えて5つにわけ、ホイタッカーという人は1969年に五界説として発表しています。こうした分類と、海の中での活動方法からの分類とを結び付けて考えてみるのも面白いと思います。

(プランクトン)

 植物プランクトンと動物プランクトンの区別はよく知られていますが、大きさはどのくらい、そして何種類ぐらいいると思いますか?
 最も小さいものでは、ウイルス(0.1ミクロン以下)、バクテリア(1ミクロン以下)など。これは生物の基本単位としての細胞が、どこまで小さくなれるかの問題でもあります。大きいものでは、群体を作るクラゲなどで1m以上のものも。植物プランクトンの種類数は、約4000種。
 動物プランクトンでよく知られているのが、オキアミやカイアシ類。多くの生物の餌になっているのですから、食物連鎖で重要な位置を占めており、10000種以上いるといわれています。

(ネクトン)

 遊泳生物、つまり水の流れに逆らって、水中を自由に移動できる生物のことです。海で暮らす大形の生物は、ほとんどがここに含まれます。クジラ、マグロ、ウミガメ、そして鳥類のペンギンもそうです。
 どの程度まで自力で泳げれば、プランクトンではなくてネクトンだと思いますか? からだの大きさと遊泳力の関係は? 実はこれもはっきりとは分類しにくいのです。ハダカイワシや大形のオキアミなどは、マグロやウミガメほどの遊泳力がないので、ネクトベントス(遊泳性底生生物)と呼ばれたりします。
 ところで、水中で浮き上がりもせず、沈みっきりにもならずに一定の深さで行動するためには、どんな仕組みがあるのでしょうか。
 海水の比重はおよそ1.03前後なのに対し、魚の比重は1.06から1.09。そのままでは沈んでしまいます。それに対抗する工夫は、自由に気体の量を調節できる浮き袋、脂肪を大量に溜め込んだ肝臓を持つことなどです。
マグロ・カツオなどの外洋性回遊魚は、酸素をとり続けるためにも、夜も泳ぎ続けています!

(ベントス)

 海の底にじっとしているもの、海底を這いずり回って移動するものがベントスです。海藻や、アマモなどの海草、それらに付着して暮らす小動物もベントスです。
水中の落ち葉や杭、空き缶などについているものは、付着生物(ペリフィトン)と区別することもあります。
 海岸にすむフナムシ、猫実川のアナジャコ、増えすぎると問題になるアナアオサ。三番瀬にいるベントスをたくさん思い出してください。

こんな視点で、三番瀬のいろんな生物の暮らしから自然環境の多様性を考えると、自然の不思議が実感されますね。新発見がいろいろと出てくるはずです。
 カニの種類もいろいろある。泥干潟が好きなもの、アシの茂っているところで暮らすもの。そんなすみわけがわかってくると、三番瀬への散歩も楽しくなってきます。
(高野史郎)

2.命のいとおしさ

 昔の三番瀬に比べると、生物の種類数・生息量ともに貧弱になったという専門家の報告があります。それでもなお、三番瀬はアサリ、ノリ、イシガレイなどの好漁場であり、日本最大級の水鳥・渡り鳥の採餌場でもあります。動植物プランクトンが302種、底生生物が155種、魚類が101種、鳥類が89種などの補足調査報告も出ています。
 
三番瀬の野鳥と魚

 波が静かで餌が豊富なため、三番瀬にはたくさんの野鳥がやってきます。潮の干満に応じて餌をとったり、休息したりしています。渡り鳥のほかに、1年中いるカワウやサギの仲間、卵を産むためにやってくるコアジサシ、それを狙うチュウヒやハヤブサ、泳いでいる魚をとるミサゴ、海岸に打ち上げられた魚を食べるトビなどと、三番瀬の野鳥は多彩です。

 三番瀬の魚が江戸前の魚です。夏になると、黒潮に乗って東京湾の外から入り込んでくるものもたくさんいます。

 三番瀬で生まれる魚:マハゼ、イシガレイ、ギンポ、アイナメなど。
 三番瀬で成長する魚:スズキ、ボラ、コノシロ、アユ、アカエイなど。
 三番瀬に来遊する魚:イシダイ、メバル、イシガキダイ、オヤビッチャなど。

三番瀬の植物

 かつての船橋沖には、大きな藻場がありました。密生したアマモが海水中のチッソやリンを吸収するとともに、光合成により大量のサンソを放出していました。アマモは漁船の操縦には迷惑な反面、イカやウナギの良好な漁場でもありました。
ふなばし三番瀬海浜公園では、ハマヒルガオやハマダイコンなどの海浜植物を見ることができます。

三番瀬を未来につなげよう

 三番瀬はきたなくて、どうしようもない泥地ではありません。三番瀬の環境変動にも耐え、しっかり生きている生き物の命のいとおしさをいつくしみたいと思います。人間の諸活動がヒト以外の生き物たちの生存に影響力をもつ現在、もっと自分たちのライフスタイルを見直し、自然に対して謙虚にならなければいけないと思います。
 干潟は気候を和らげ、水を清め、豊かな生態系を保ちます。海とふれあう機会を作ってくれます。豊かな文化は豊かな自然環境の上に育まれます。そうした恩恵に感謝しながら、節度を持って生きるという倫理観は、世代を超えて受け継がれてきたのではないでしょうか。
 海は、漁場であるとともに、文明のゆりかごでもありました。“外なる自然”を破壊することは、“内なる自然”を破壊し、未来を見つめる創造力までも奪ってしまうと思っています。
 自分たちの子どもや孫の世代、次世代の人たちにこの豊かな自然を残していくのが、いま生きている人の努めだと思います。
                                     (寺田純子)


みんなで考えよう。
  • 三番瀬の生き物になったつもりで、ロールプレイをやってみましょう。
  • 開発推進派、環境保護派に分かれて、ディベートをしてみましょう。