大多喜城分館資料 中央博資料百選  

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情報
101大多喜城-1歴史資料紙本著色本多忠勝像1幅徳川四天王の1人に数えられる、大多喜城主本多忠勝の画像です。鹿角付きの兜に黒糸威の甲冑姿の本資料は、生涯50数回の戦をくぐりぬけた武将像がよく現されています。
102大多喜城-2歴史資料徳川十六将図1幅徳川家康の譜代衆十六人を家康と共に描いた画像です。家康をめぐる武将には、後世、三傑・四天王などと呼ばれた者がいました。いずれも家康の天下取りに尽くした者たちです。 
103大多喜城-3歴史資料『単騎要略』1冊伊勢国(三重県)の村井昌弘が著したものです。具足着用の方法等が図解入りで記されています。単騎とは一騎のことで武士一人分の武装を指します。 
104大多喜城-4歴史資料三ッ扇紋付黄羅紗陣羽織1領大多喜城主松平氏所用の陣羽織で、江戸時代には貴重な輸入品であった羅紗(らしゃ)を素材にしたものです。松平氏の紋所「三ツ反扇」を配してあります。 
105大多喜城-5歴史資料茶糸威亀甲金畳具足(提灯兜付)1領当世具足の一様式です。大多喜藩主松平氏所用の畳具足(たたみぐそく)で、亀甲金を鎖綴りにし、折り畳めるため持ち運びやすくなっています。具足は松平家の武器帳に記載されています。 
106大多喜城-6歴史資料紺糸威鎧(本小札腹巻)1領当世具足、復古調の鎧(よろい)です。江戸時代に戦いが無くなると鎌倉時代の形式を模倣した飾り鎧が流行しました。この鎧は幕末の水戸で製作された腹巻き形式鎧で、兜は水府住義秀作の120間筋兜です。  
107大多喜城-7歴史資料紺糸威仏胴具足1領大多喜城主松平氏所用の復古調甲冑です。胴に矧目がみられず仏像の胸に似ているので、この呼び名があります。兜の前立等に家紋「三反り扇」が施されています。
108大多喜城-8歴史資料赤絲威鎧(複製)1領源平合戦期(平安末期)の代表的大鎧で十二間片白星兜(かたじろほしかぶと)が付きます。畠山重忠が武州御嶽神社に奉納したと伝えられるものです。現品は国宝で御嶽神社蔵となっています。 
109大多喜城-9歴史資料短甲(たんこう)復原1領古墳時代(5世紀後半〜6世紀)の「よろい」で前で引き合わせる形式です。原品は、市原市東間部多1号古墳より出土し、市原市埋蔵文化財調査センターが所蔵しています。  
110大多喜城-10歴史資料白革威腹巻1領小札(こざね)を鹿の革で威(おど)した腹巻(はらまき)です。腹巻は南北朝時代から室町時代に流行した軽武装用の鎧で、背で合わせる構造です。 

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