教室博日記 No.2041

 2021/11/21(日)

 三舟山とその山麓を歩く

 令和3年11月21日の日曜日、房総の山の観察会「小糸川流域の地形を訪ねる2」を開催し、9名の参加者(+4名のスタッフ)とともに、小糸川左岸に位置する三舟山とその山麓を歩いた。

  • 図1 三舟山周辺の地形と観察会のルート(①~⑩)

 集合場所である三舟の里案内所を出発し、まずこの地域に分布する下総層群地蔵堂層の露頭を観察した。先月の教室博日記に書いた「消えた露頭」である(教室博日記No.2025)。崖は少し削られて、貝層の一部がはっきりと見えるようになっていた(写真1、2)。

  • 写真1 下総層群地蔵堂層の貝化石の露頭
  • 写真2 下総層群地蔵堂層の貝化石の露頭

 地層が専門のCさんが、地蔵堂層が堆積した40万年前頃(中期更新世:チバニアン期です)には、このあたり一帯が浅い海だったことを図で示し、肉厚のホッキガイ、薄くて繊細なサラガイ、エゾタマキガイなど、化石の実物を見せながら当時の気候や古環境について解説した(写真3)。

  • 写真3 実物の化石(他の場所で採取した)を手に解説する(写真提供:佐藤恭子)

 その後整備された山道を登っていくと、平坦な地形となり、山頂にたどり着いた。しばらく展望台から見える風景を楽しんだ後(写真4)、三舟山や目の前に広がる地形の成り立ちについて話をした。

  • 写真4 山頂展望台から風景を眺める(写真提供:斉藤明子)

 眼下に広がる少し高い平坦面(写真5)については、2~4万年前の氷河期に、海面が下がって陸地が広がった時期があり(図2)、当時の河川(古小糸川?)が大地を削ることによって、河成(河岸)段丘という段々の地形ができたことを説明した。

 このような話は一般にはなかなかイメージがつかみにくいのだが、今回のように高いところから俯瞰して説明すると、当時の景観が想像しやすいのではないかと思う。

  • 写真5 三舟山山頂から見える地形景観
  • 図2 2万年前頃の関東平野 氷期で海面が低下、陸地が広がっていた(千葉市自然研究会編著(1988)の図を基に作成)

 山頂では最近よく見られる「ナラ枯れ」の木も観察した。その原因となる菌を運ぶ小さな甲虫「カシノナガキクイムシ」の拡大写真を、昆虫が専門のSさんが用意してくれていたが、現地でその虫を直接見ることもできた(写真6、7)。

  • 写真6 ナラ枯れの説明を聞く(写真提供:林紀男)
  • 写真7 現地に現れたカシノナガキクイムシ(体長5mmくらい)(写真提供:佐藤恭子)

 その後三舟山を下り、ふもとの河成段丘面の上を歩いた(写真8)。上から見ると植生に覆われ、こんもりとした地形に見えるが、実際にその上に立つと、平坦な地形が広がり、かつてそこに川が流れていたことが実感できる。

  • 写真8 三舟山のふもとに広がる河成段丘面

 また段丘面を下る坂道の両端は露岩の崖になっており、この段丘面を作る地層が観察できる。崖の下の方では、河床に見られる丸い礫を含む段丘堆積物を、上の方では段丘面が形成された後に堆積した火山灰層(関東ローム層)を観察した(写真9)。

  • 写真9 火山灰層の観察(写真提供:林紀男)

 なおこの河成段丘面から三舟山を越えて富津方面に行く道は、江戸時代に江戸から安房北条(館山市)へ通じる「房総往還」の一部に当たっている。今回はその道を逆向きにたどることになったが(写真10、11)、ところどころ荒れていて、イノシシの檻なども何回か目にした(写真12)。少し注意が必要かもしれない。

  • 写真10 三舟山の房総往還の立て札(写真:林紀男)
  • 写真11 河成段丘面上の房総往還
  • 写真12 イノシシよけと檻(写真:斉藤明子)

 さて房総の山のフィールド・ミュージアムとしては、昨年11月以来1年ぶりの観察会だった。受付時に検温、手指消毒、マスク着用の確認を行い、通常の観察会より参加人数や時間を絞るなど、今回も新型コロナ感染予防の対策をとりながらの開催となったが、予定の時間内に無事に終了した。

 ご協力いただいた「三舟の里案内所」のスタッフの方、参加してくださった皆さんに感謝します。

  • 【参考文献】
  •  千葉市自然研究会編著(1988):「行こう さぐろう 緑と水辺: 千葉市自然ガイド.」136p.

(八木令子)