せんとうしきじょ,さくせんしつ
83 戦闘指揮所,作戦室
館山市 |
その他・軍施設
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1944(昭和19)年 |
1943(昭和18)年9月30日の御前会議で絶対国防圏が設定され,中部太平洋地域ではトラック・マリアナ諸島が国防ラインとされた。しかし,翌年6月にはマリアナ諸島のサイパン島の日本軍守備隊が玉砕した。また,マリアナ沖海戦で連合艦隊が大敗北をすると日本は制空制海権を失い,絶対国防圏は崩壊した。
大本営は翌7月の「本土沿岸築城実施要綱」で本土防衛のための沿岸砲台や陣地構築を示し,東京湾要塞地帯に米軍の上陸阻止を主眼とした施設の構築を命じている。
軍部は米軍上陸地点のひとつとして館山湾を想定したが,館山湾,館山海軍航空隊,海軍航空隊を一望できる標高100m程の丘陵を「本土決戦抵抗拠点128高地」と名付け,この中腹に壕を張り巡らした。
現在,館山市大賀のかにた婦人の村の敷地内にこの壕はあるが,内部には「作戦室」「戦闘指揮所」と書かれた額があり,「昭和19年12月竣工」と記されている。この時期に,東京湾要塞が本土決戦の本格的な準備に入っていたことがわかる。
(杉江 敬)
地形図 「館山」(略)
写真83‐1 戦闘指揮所額(1997年) | 写真83‐2 作戦室額(1997年) |
参考文献等
1) 館山市史編さん委員会:館山市史,館山市,1971年
2) 愛沢伸雄:戦跡フィールドワークー東京湾要塞地帯に戦争の傷跡をみるーレジュメ館山市館山地区公民館,1997年
3) 鶴岡五郎氏等からの聞き取り