Q&A

大多喜城について

大多喜城分館は大多喜城のことですか?
通常そう呼ばれています。それは当館が旧大多喜城本丸跡に建ち、博物館の外観が天守閣造りになっているからでしょう。しかし正確に言えば旧大多喜城は本丸・二の丸・三の丸などからなり、城域は当館の他に県立大多喜高校や、いすみ鉄道大多喜駅などを含みます。
大多喜城分館の形は、大多喜城の天守閣を再現したものですか?
残念ながら、旧大多喜城の天守閣は現在残っておりません。大多喜城については、天守閣があったのか?あったとしたらどのような天守閣があったのか、などについて不明の部分が多く、良質の資料も残されておりませんでした。昭和50年に当館を建設する際は当時残された資料と江戸期の一般的な天守閣を参考に推定復元しました。
大多喜城はいつ、誰によって築かれたのですか?
天正18年(1590)徳川家康の家臣である本多忠勝によって大多喜城と城下町が整備されました。本多氏の後、阿部・青山・稲垣氏と城主が変わり元禄16年(1703)松平正久が入り、以後明治維新を迎えるまで松平氏(大河内氏)が続きました。
歴代の大多喜藩主
年        代 石       高       等
本多氏 天正18年(1590)~元和3年(1617) 忠勝の時10万石。忠朝・政朝の時5万石。
阿部氏 元和3年(1617)~元和5年(1619)
寛永15年(1638)~元禄15年(1702)
正次の時3万石。元和5年~元和9年の間廃藩。
寛永15年正能の時1万石。正春の時1万6千石。
青山氏 元和9年(1623) 忠俊の時2万石。元和9年頃か?~寛永15年まで廃藩。
稲垣氏 元禄15年(1702) 重富の時2万5千石。
松平氏
(大河内氏)
元禄16年(1703)~明治4年(1871) 正久の時2万石。明治4年で廃藩。

千葉県立中央博物館 大多喜城分館について

大多喜城分館はどんなものを展示しているのですか?

当館は「房総の城と城下町」をテーマに房総を中心とした中世・近世の城郭やこれに関する武器・調度品・古文書や城下町の生活資料などを展示しています。また、いろいろな角度から房総の歴史を探っていく各種の企画展も開催しています。展示の詳しい内容については、本ホームページ上の「企画展」「主な収蔵資料」などをご覧下さい。
大多喜城分館に団体で見学したいのですが、事前に申し込みが必要ですか?また、館の概要などをガイダンスしていただけますか?また見学時間はどの位かかりますか?
学芸員による館内ガイダンスなどをご希望される場合、団体が重なる場合もありますので事前に電話でお申し込み下さい。その際団体名・来館される日時、人数をお知らせ下さい。見学時間は人によって違いますが、概ね30分位は必要でしょう。
大多喜城分館へはどう行けばいいのですか?
電車ですとJR外房線で大原駅でいすみ鉄道に乗り換え大多喜駅で降りて下さい。徒歩15分です。またJR外房線茂原駅からバスで大多喜駅下車で同じく徒歩約15分です。自動車では千葉方面からは市原I.Cから国道297号線で約50分。東京湾アクアラインからは木更津I.Cから55分です。周辺地図
館の近くに駐車場がありますか?
大多喜町営の無料駐車場が徒歩約3分のところにあります。また、足の不自由な方には館の横に駐車スペースがありますのでご利用下さい。なお、その際は受付で許可証をもらって下さい。

周辺の施設について

大多喜城分館の周辺にはどんな文化財がありますか?
大多喜城の遺構としては、県立大多喜高校内に「大井戸」と城内で唯一残る建造物の「大多喜城薬医門」があります。また、いすみ鉄道大多喜駅の西側に「大多喜城大手門跡」があります。大多喜の町並みは国指定重要文化財の「渡辺家住宅」などの商家や本多忠勝ゆかりの良玄寺などの古いお寺などから、城下町の雰囲気を良く残しています。
家族で観光に来ました。大多喜町とその周辺で楽しく遊べる所はありますか?それと大多喜を訪れる良い季節はいつですか?
大多喜町は平成12年度から「町並み環境整備事業」を行い房総の小江戸大多喜として整備しております。町内では「商い資料館」「大多喜県民の森」「大多喜町薬草園」「ベジタブルガーデン」や「養老渓谷温泉郷」などがおすすめです。
春は筍とレンゲ、夏はアジサイ、秋はお城祭りそして紅葉と四季おりおりを楽しめます。いすみ鉄道に乗り一日ゆっくり散策してはいかがでしょう。博物館の見学を併せて来られるなら、秋が一番でしょう。秋は企画展が開催されており、養老渓谷の紅葉も見事です。またGW中のレンゲの季節の大多喜もさわやかです。
周辺の観光スポットではいすみ市の「万木城跡公園」や「太東埼灯台」、御宿町の「月の砂漠記念館」、勝浦市の「千葉県立中央博物館分館 海の博物館」や「勝浦海中公園」などがあります。