《耕地整理図》 c1902(明治35頃) 油彩・カンバス・額  91.0×151.5cm
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堀江正章

1858(安政5)〜1932(昭和7)

 堀江は、工部美術学校の二期生として、イタリア人サン・ジョバンニに学んだ。卒業後は、曽山幸彦、松室重剛らと画学校を開設し、和田英作、岡田三郎助、中沢弘光、高木背水らを育てた。高木によれば、堀江は「幼時数学の天才を有し、また物理科学の素質を備えた人であったので、独りで研究する中にも、太陽の三原色を知って色彩に長じた其の点が、当時の諸大家中で一頭地を抜き」出ていたという。黒田清輝がヨーロッパから外光派を持ち帰るまで、浅井忠を代表とする脂っぽい作品が主流であったが、すでに堀江は三原色の原理により、明暗や陰影にコバルトブルーを使用し、明るい絵を描いていた。
 堀江は、1897年(明治30)から旧制県立千葉中学校に35年間在籍した。この作品は、1902年(明治35)頃千葉県香取郡多古町の耕地整理の状況を描いたもので、広大な水田と澄み切った青い空など、堀江の画風の特徴を端的に表現している。(前川公秀)