《金魚と雲》 1928(昭和3) 油彩・カンバス・額 80.9×100.0cm
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板倉 鼎

1901(明治34)〜1929(昭和4)

 板倉は、旧制千葉中学校で堀江正章に学び、1919年(大正8)東京美術学校に入学して岡田三郎助に師事した。1925年(大正14)の秋、美術学校卒業の翌年、歌人の与謝野鉄幹、晶子の媒酌で、ロシア文学者昇曙夢の娘と結婚。翌1926年、妻とともにフランスに留学する。フランスでは、ビッシェルに学び、エコール・ド・パリの空気を吸い、サロン・ドートンヌなどに独自の視点で表現した作品を発表した。
 窓辺に置かれた金魚鉢、水面には異国の情緒を醸し出す花、広大な空と夏雲、野山を穏やかに流れる川など、現実から離れた夢の世界のような光景が展開している。洗練された色彩と装飾性の中に、どこか哀愁を帯びた作品である。妻が日本に宛てた手紙に、「二人きりのところへ金魚がたった五匹ばかりふえましたのですけれど、大分淋しさがうすらぎます」と記している。遠い異国の下で泳ぐ金魚は、板倉と妻のようでもある。この翌年、板倉は敗血症でパリに客死する。28歳の若さであった。(前川公秀)