《霽れたる冬之日》 1917(大正6) 油彩・カンバス・額  54.7×59.0cm
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岸田劉生

1891(明治24)〜1929(昭和4)

 岸田は、北欧ルネッサンスの写実様式や武者小路実篤を代表とする「白樺」の人道主義に傾倒し、1915年(大正4)、同士と草土社を結成、大正期画壇に異彩を放った。岸田が肺結核と診断され療養も兼ねて東京から神奈川県の鵠沼に移ったのは1917年(大正6)の2月。1923年(大正12)の9月に関東大震災で被災するまでの6年半を過ごした。この鵠沼時代は岸田の画業の中でも絶頂期と言われる。特に、1914年(大正3)に誕生した長女麗子や村娘お松をモデルとする一連の油絵制作は有名である。
 岸田は、1917年(大正6)の12月15日から24日まで開催された草土社第5回美術展覧会に油絵21点と素描18点を出品した。この作品はその油絵中の1点。制作年月日は1917年(大正6)12月13日。鵠沼時代の冬枯れの一情景で、高い松の木を背にして砂道にしゃがむ幼い麗子の姿がある。麗子の肖像画を油絵で本格的に描き始めたのは翌1918年(大正7)の夏以降である。いち早く風景画の中に添景人物として麗子を描いた。(藤川正司)