(1870-1911)

 東京都に生まれる。明治24年(1891)、中丸精十郎に学ぶ。翌年頃から三宅克己と交友し、水彩画へと傾斜していく。また、森鴎外とも交遊した。明治29年(1896)頃から水彩画家として立つことを決心し、2年後にはオーストラリアに写生旅行に出かける。帰国後の34年(1901)に『水彩画の栞』を刊行し、水彩画のブームに寄与する。同年、太平洋画会の創立に参加し、翌年渡欧。明治38年(1905)、水彩画研究団体春鳥会を結成し、その機関紙として『みづゑ』を創刊する。次いで、水彩画講習所、日本水彩画会研究所を設立し、わが国の水彩画の発展に尽くした。 

「紫陽花」
1904(明治37)年作
紙・水彩
21.0×33.0(cm)

「久々子湖」
1911(明治44)年作
神・水彩
35.0×24.5(cm)

「日本水彩画史の作家と作品」トップへ