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考古3本立て展 展示紹介
こんな風に見るともっと面白い


黒曜石製の石器
千葉県鎌ヶ谷市 五本松遺跡出土
 今回の展覧会展示品について、中央博物館にいる考古の専門家の意見を聞いたり、素朴な疑問をぶつけてみたりしたら、見るわれわれの側から見て面白いことが出てくるのでは・・・ということで、企画しました。
 ど素人の記者がいろいろ聞いてみました。というフィクションです。
 
今回は、2万7千年前の、黒曜石製石器・・・五本松No.3遺跡 出土について

旧石器時代の石材産地の専門家、岩尾・探作(いわを・たんさく と読む)さんと、不養生のせいで糖尿になった記者フーおやじが話し合いました。

五本松遺跡 2.7万年前の文化層の石器
フーおやじ・・・「 これが、2.7万年前の石器ですか。上の列が黒曜石製。下が泥岩製とのこと。 黒曜石製の石器の種類は何ですか?。」
岩尾・探作・・・「左から、石槍(尖頭器ともいいます)が1つ、石刃の破片が2つ、縦長の大体完形の石刃が2つ、右の3つは剥片と石核。 
機能としては、石槍は槍先、石刃は今の包丁やナイフ、剥片と石核は、石器を製造する過程の飛びちった破片と中身の残り」
フーおやじ・・・「 フムフム。
遺跡としては、どんな遺跡なんでしょうか。後期旧石器時代(以前は先土器時代っていってましたね)で年代がわかっているところを見ると、関東ローム層の中の遺跡ですか。」
岩尾・探作・・・

「鎌ヶ谷市初富字五本松にあり、土地区画整理事業に伴い発掘されました。下総台地上の関東火山灰層中の立川ローム層中の遺跡です。
 展示の解説パンフレットによると『手賀沼西岸に注ぐ大津川上流右岸の台地に所在する後期旧石器時代の遺跡です。調査の結果、栃木県高原山産の黒曜石を使って石器を製作した約27,000年前の土坑(工房跡)が発見されました。これは、全国的にも例の少ない貴重な発見です。』とあります。」

フーおやじ・・・

 「ところで、今回話題の黒曜石製石槍なんですが・・・

最初の画像の、上の列、一番左ですけど。

うーーん。正直なところ、かっこいいとはいえませんね。
ほら、石槍って言うと、木の葉形して、すごくかっこいいのがあるじゃないですか。」


岩尾・探作・・・
「この層位でなくて、もっと年代の新しい文化層からは、こうゆうのがでてます。 こうゆう形のですか?」


⇒後期旧石器時代後半の石槍
 同じ、五本松遺跡出土
フーおやじ・・・ 「そうそう、こうゆうの。」
岩尾・探作・・・
・・・「同じ後期旧石器時代なんですが、2万年ぐらいの年代(姶良丹沢火山灰層ATぐらい)の時代で、前半と後半に分けると、石槍の製作法が違うんですよ。

ほれ、この前半期の石槍図と、上の、後半期の石槍図比べて御覧なさい。
魚のうろこみたいに見える打撃痕が、上の図には全面に着いてるでしょ。
下の前半期の槍は、整形が簡単なんです。

⇒後期旧石器時代前半の石槍
 同じ、五本松遺跡出土
 
フーおやじ ・・・「なるほど、違うんですね。この時代にはこれで立派だったんだ。」

ところで、

色が違いますね。

左から1-4番目までは、真っ黒ですけど、左から5番目の石刃は灰色だし、その隣は、茶色ですね。

同じ高原山の黒曜石なんですか?。
岩尾・探作・・・
「同じ産地です。黒曜石産地として和田峠などの信州産のほかに、関東地方では、高原山と、神津島、それと伊豆・箱根の3箇所があるけど、どこでもすこしづつ色の違う黒曜石があります。
 微量な成分の違いで色がつくそうで、質が悪いとか不純であるとかの差はないですね。
 下の画像は、 高原山の原石です。3種類あるでしょ。」
高原山産の黒曜石の各色

真っ黒なもの、灰色がかっているもの、茶色のものなど。

フーおやじ・・・「なるほど。」
「 実は、黒曜石の産地といえば、和田峠と神津島って聞いていたのですが、高原山だというのは、無学にして初耳です。
岩尾・探作・・・「あんまり知られてないみたいですね。旧石器時代の黒曜石産地を遺跡ごとに言うと、概略、東関東の遺跡では、高原山産が50%、信州産が50%。西関東では神津島産が50%、信州産が50%ですね
以前は、伊豆箱根・高原山のものが、伊豆箱根のものと思われていたんでしょう。岩石の成分化学分析が進歩して、高原山と確定されたんです。
遺跡によっても、違いがあって、この五本松遺跡は、100%高原山産なんです。
あと、時期によっても、違いがあり、信州産の石を多く使う時期もあります。」
フーおやじ・・・「なるほど。その現象の背後に、面白そうな事実がありそうですね。
信州と高原山の石材を使い分けるというと、材質に違いがあるんですか。」
岩尾・探作・・・「信州産の石材は質が良いです。高原山と神津島産は、落ちますね。」
フーおやじ、「なるほど、高原山の原石みても、信州の石に比べて、割れ目が多くてスパッと割れ口が出にくいみたいだし、白い斑晶が多くてギザギザしそうですね。

あと、 東関東と西関東の黒曜石石材の違いが、当時の狩猟民の回遊する生活圏の違いを反映してると考えるんですね。
ただ、そんなに自分で移動しなくてすむ、交易の可能性はないんですか。
あと、移動するとき、石材として持ち歩いて、石器が必要になるとそれから作ったとかんがえればいいんですか。」
岩尾・探作・・・「縄文時代の石材については、交易を考えることができると思いますが、旧石器時代については、社会がそこまで複雑になっていないから、自ら動いていたと考えるべきでしょう。」
「産地では当座の必要な石器は作ったけど、大部分は、石材として持ち歩いて、移動先のその場その場で必要とされるものを作ったと思います。
 ただし、交易はないかもしれないけど、他の集団と出会い時に、ご進物として黒曜石の石材の塊はすごく価値があったと思います。」
フーおやじ・・・ 「東関東が生活圏だとすると。、信州は西関東の集団と重なるし離れていますが。」
岩尾・探作・・・
「分遣隊を派遣して、とってきてたんだと思います。みなが利用できる場所だったのでは。」

高原山遠望 中央の峰右手稜線上が石材産地
フーおやじ・・・ 「これまた、話し変わりますが・・高原山の産地ってどんな所ですか? 簡単にいけます? 距離は意外に近くて、直線で120kmぐらいですよね。」
岩尾・探作・・・「高原山の本峰は釈迦ケ岳ですがその東、剣が峰と大入道の間の1,400m前後の緩やかな尾根斜面に、黒曜石の大きな岩塊が地表に出ていて、各所に採取して加工した跡の遺跡があります。
こんな感じです。↓ 画像のでかい石が全部黒曜石。
行くとなるとねえ。・・・山奥で、登山道が1本走っているけど、あたり一面、笹ヤブで簡単にはいけませんね。」

高原山の石材産地 (カシミール3Dにて作図)
栃木県高原山の黒曜石産地を調べる

石材産地のようす(上左)
山中に黒曜石の巨大な岩塊がゴロリ・・・

黒曜石の産状(上右)
岩全部が黒曜石です。白く見えるのはこけ。

高原山の黒曜石による石器(左)
フーおやじ・・・ 「これは厳しそうですね。糖尿にはこたえそうだ・・」 
岩尾・探作・・・それでね、私は石材を尋ねて歩いているんですが、旧石器時代の石材だと、なんと言っても黒曜石がピカイチですね。
 それで、黒曜石への当時の人々の思いを考えてみる事も、重要と思うんですよ。
フーおやじ・・「フムフム」
岩尾・探作・・・
「 旧石器時代の人々はいろいろな石材から石器をつくったが、何といってもいちばんの憧れの石は黒曜石です、その理由は、割れ口が鋭くて切れ味がいいことです。
 が、もう一つは天然の石にはめったにない透明感と色艶のよさをあげることができます。だから、石器時代の人々は黒曜石が欲しくてたまらなかったにちがいないです。」
フーおやじ・・「前に、「ご進物によい」という話もありましたね。」
岩尾・探作・・・
「ですけど、この憧れの石材であるが、なかなか簡単には手に入れることができなかったのです。
 それは産地が中部地方の山中であったり、外洋の島であったり、当時の人々の生活の舞台からは切り離されたところで多く取れる石材であったからです。
 そうした中で、西関東の旧石器時代人には、栃木県高原火山山頂に産する黒曜石は、比較的近所でとれる黒曜石として古くから知られていたと思います。
 旧石器時代の人々は、今のようにひとところに居を構えるのではなく、食料資源を求めてあちらこちらを移動する生活を送っていたので、彼らはまさに旅の人生を送っていた。
 そうした移動に際して、高原火山の近くに立ち寄った折には、山頂にまでのぼって黒曜石を採取し、また必要な石器をつくったりした。そして、ふたたび房総半島をめざして南下していったのだと思います。」
フーおやじ・・・ 「遺跡から出る黒曜石が、高原山や信州から持参してくる氷河時代の旅の成果というわけですね。物から人の生活が見えてきますね。」
岩尾・探作・・・「こんなに大昔から、人々は峠を越えたり、海を越えたり、高い山に登ったりして黒曜石の塊を手に入れていた。これも人々が黒光りする黒曜石の魅力に引き寄せられていたからではないだろうか。
・・・とここまでは、長かったけど、実は前置きです。最後になったけど、ここからが本題。
単に、道具の素材としてだけでなく、黒曜石は当時の社会の価値観の象徴であったと考えてもいい。
つまり、肉を持ち帰る力強い狩人=社会の中心・価値の源泉=黒曜石の槍先といったようなシンボリックな(象徴的な)つながりがあったと、考えたらどうでしょう。
 旧石器時代人にとって、それだけ凄いものだったと、私は考えているんですよ。
フーおやじ・・・ 「 うーーむ。そうですね。そのぐらい重要なものだったんですね。
黒曜石の石槍持って、肩に鹿を担いでいる勇者というイメージですね。」

フーおやじの感想:シュワちゃんなんかがやったら、はまり役かな。
映画的には、「黒曜石のギラッと光る刃先の先に、ふんどし姿のシュワルツネッガーが、当時の美女に囲まれて、鹿の肉をもりもり食っている光景」という、理想の生活がうかんでくるな・・・。


フーおやじ ・・・ 「遺跡から出てくる黒曜石のかけらから、イメージがふくらんでいきましたね。 どうもありがとうございました。 (^_^)v」

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