えびしきのせき

2 海老敷の堰


三芳村
産業関係・農業・堰堤
1929(昭和4)年

海老敷の堰の起源は,1895(明治28)年に本綴村の藤平亀吉,神作弥市が毎年,耕地が干害を被っているのを憂いて,吉田周蔵(当時安房郡農会幹事)に溜池設置を申し入れたことからはじまる。しかし,その後測量に着手したものの村民の理解が得られず,測量半ばにして中止となった。当時の計画は工費3万円,工期は3年であった。

1904(明治37)年に再度,吉田周蔵が技手石井簾次郎を招き前回に続く測量を開始したが,測量半ばにして日露戦争のために無期延期となった。

その後,1932(大正7)年に各町村の耕地測量のため,県の耕地整理組合支部が置かれ技師長山国太郎が派遣された。その時に,自ら出県して溜池設置の必要性を報告したので,県では改めて佐藤右衛門技手を派遣して測量を開始した。そして,1925(大正14)年1月に溜池工事に着工し,昭和4年に完成した。

1952(昭和27)年の土地改良法にともない,国府土地改良区に組織変更をして現在に至っている。この間,1963(昭和38)年から1973(昭和48)年の間に第一次,第二次構造改良事業により,それぞれ整備が実施されている。この際,懸案であった事務所を地区内に新築し,あわせて,住吉神社境内にあった溜池竣工記念碑を事務所前に移設したとある。1)

記念碑の碑文には,1922(大正11)年に計画され1929(昭和4)年に完成したとなっている。また,この堰は,貯水量約303,000m3総延人数5万人を動員し,留池工事費13万円,用水路及び道路新設工事費11万5500円を費やし,多年の雑工事の末,完成したもので現在でも水田を潤している。堰堤の高さもかなり高く,土地の人の話では全部人力によったということである。また,流水口の構造形式は,垂直落下式余水吐隧道で,縦坑と隧道を組み合わせた珍しい構造になっている。現在,隧道部はコンクリートとスチールで補強してあり,縦坑には落下防止用のスクリーンが設置されている。

この堰は現在でも使用されており,普段は溜水にかくれて流水部をみることができない。また,取水口のある場所には施錠がしてあり,近くまでよることができないようになっている。

(小早川 悟)

地形図 「安房古川」(略)

写真2-1 溜池部 (1997年) 写真2-2 堰堤部 (1997年)
写真2-3 流水口入口 (1997年) 写真2-4 流水口の隧道 (1997年)
写真2-5 流水口の縦坑 (1997年)

参考文献

1) 三芳村史編纂委員会:三芳村史,三芳村,1984年


Back
Home
Up
Next