しょうへいちょうてんねんがすだいいちちょぞうじょう

12 昌平町天然ガス第一貯蔵場


茂原市

産業関係・天然瓦斯・貯蔵場

直径5.3m
1911(明治44)年8月

1911(明治44)年,現在の茂原市で発足した茂原昌平町天然ガス組合が,採掘した天然ガスを一時貯蔵するために建設したものである。現在ではレンガ造りの基礎が残るのみであり,4分の1が切り取られているが,当時は基礎上に4本の柱が立ち,1500立方尺(約42m3)の容量を持つ1.5mm厚の亜鉛引き鋼板製のタンクが設置されていた。

茂原地方での天然ガスの本格的な利用は1909(明治42)年,本町1丁目で銭湯を営む丸弁蔵が自宅敷地内に井戸を掘ったところ,十分なガスが噴出したため,簡単なガス溜めを設置し浴場や自宅の燃料や灯火に用いたことに端を発する1)。その後,茂原地方では次々と民家井が掘削され,天然ガスの利用が増加していった。

その中で昌平町の事例は組合という共同組織と共同出資による天然ガス事業の草分けであり,同時期には同様の組合組織が他にも存在していた。

さく井工事は1911(明治44)年3月28日から開始され,同年7月10日には1分間に8斗2升(約148l)の噴水が起こり,噴出するガスの量は日量約110m3という好結果であったため,貯蔵施設を昌平町稲荷神社の境内に建設し鉄管を敷設,9月14日に初点灯された2)。

この時掘削された第1号井戸の深度は369mに達し,毎日午後3時頃にはタンクに充満したという。

当時の昌平町の組合の規模は組合員78人,灯火は30燭光のものが210灯,50燭光のものが126灯,街灯用として70燭光を14灯点灯した。

料金は1灯1夜あたり30燭光が1銭,50燭光が1銭5厘であり,後に掘削されたものを含んだ2本の井戸の掘削料,タンク設備,鉄管敷設工事,灯火装置等の経費9700円は5年で償還できる見通しであった3)。

当初天然ガスの利用はこのように灯火としての利用が主であったが,翌年には燃料として利用するために第2号井が掘削された。第2号井戸は1912(明治45)年2月24日に起工,1912(大正元)年8月21日に完成した。この第2号井戸の深度は496m,1分間に6斗(約11L)の噴水とともに噴出するガスの量は日量2760立方尺(約77m3)に及び,新たに3500立方尺(約100m3)の第2号タンクを建設した2)。

しかし,その後故障が発生して噴出量が激減したため,燃料用としては成功を収めるに至らなかった。そして1923(大正12)年の関東大震災のため井戸が欠損し,また昭和時代に入ってからは大手天然ガス会社の進出と共に組合員が減少したため経営困難となり,1937(昭和12)年に組合は解散となった。

(立川 勇・阿部貴憲)

地形図 「茂原」(略)

写真12-1 現在残っている煉瓦造りの基礎(1997年)
図12-1 当時の貯蔵施設2) (古写真より作図)

参考文献

1) 市長公室企画課:ふるさと茂原の歩み,茂原市,1986年
2) 社史編集委員会:五十年の歩み,関東天然瓦斯開発株式会社・大多喜天然瓦斯株式会社,1981年
3) 茂原市史編さん委員会:茂原市史,茂原市,1966年


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