ふじはんしょうゆきゅうこめぐら

19 フジハン醤油旧米蔵


神崎町

産業関係・醸造業・倉庫

木造平屋建,桁行6間・梁間3間・南面下屋付
明治期

本町において利根川の改修が行われるまで,この建物の側を利根川が流れていた。やや高められた地盤上に建てられている本建築物は,水運を利用して運送するための米の蔵出倉庫として使われていた。

運送業を営む坂本某の所有であったが,経営不振のため干葉銀行が管理することとなった。その後永長某の所有となり,さらに東京で事業を営んでいた岡田某が戦時中の疎開時に所有することとなった。1955(昭和30)年頃,岡田氏が東京へ戻った後,高橋半典氏が購入し,現在に至っている。

木造平屋建,切妻屋根の主屋に,正面である南面のみに下屋を付けている。正面の軒下の小壁や入口脇には漆喰が塗られているが,下屋及びその他の面は押縁下見板張り仕上げとなっており,現在は一部トタン板が張られて補修されている。また正面漆喰壁部分には数か所に,初代所有者の商標である丸に十字の印が,黒くしるされており,この米蔵の来歴を物語っている。

内部床は板張り仕上げ,また壁体は柱,桁,貫など軸部をあらわした土壁仕上げである。小屋組は柱頭に直接梁材などを架け,その上に軒桁をのせる折置組の形態をとるが,場所によって異なる架構法を採用している。両妻側及び中央の架構では,小屋梁上に小屋束を立て,その束が梁を受け,さらに束を立てて最上部の梁を受ける三重の和小屋としている。一方その他の架構は,途中をはさみ梁で補強した,合掌造りの形式を採用している。最下部の小屋梁及び合掌の端部は,外壁面より突出しており,外部の形態にも影響を与えている。

この米蔵は現在貸倉庫として使用されているが,当時の県内における利根川を利用した水運の重要性と盛衰,及びその水運と産業のかかわりを今に伝える貴重な遺産といえる。

(江口敏彦)

地形図 「佐原西部」(略)

写真19-1 旧米蔵正面外観 (1997年) 写真19-2 旧米蔵小屋組 (1997年)

Back
Home
Up
Next