こばやしのうさんこうぎょうきゅうでんぷんこうじょう

20 小林農産工業旧でんぷん工場


飯岡町

産業関係・食品業・工場

1926(大正15)年

1926(大正15)年,千葉県特産のサツマイモを原料として,でんぷんを生産する工場として建設されたもの。千葉県は我が国におけるでんぷん製造発祥の地であり,天保年間の初めの頃,千葉郡(現・千葉市付近)付近で初めて副業的にでんぷんを製造した記録が残っている1)。

当時は手作業で細々と生産されていたが1891(明治24)年,原料の粉砕を完全な手作業から人力機械式に改良したのを皮切りに,1894(明治27)年以降には本格的に機械装置の導入がすすみ,副業の域を脱し家内工業に移行していくのと時期を同じくして夷隅郡,長生郡,山武郡,海上郡の県内各地にでんぷん製造業が広まっていった。その後,日露戦争後の工業界の発達と,でんぷん需要の増加を受けて動力が人力から蒸気機関,石油発動機,電動機へと移り変わり,第1次世界大戦の好況時代には日本全国にでんぷん産業が広まっていった。

その後の千葉県内のでんぷん製造は現・千葉市蘇我付近,県東部地域を中心に続けられていたが,1944(昭和19)年政府の命令により千葉市付近のでんぷん工場の疎開が進められ,約65工場存在したもののうち3工場が残ることとなったが,工場設備の撤去が完了した時点で終戦を迎えることとなった。一大生産地として繁栄した千葉市地区のでんぷん製造業は終戦を契機に衰退してしまったのである。

千葉県東部地区においてでんぷん製造が開始されたのは1894(明治27)年,海上郡銚子町(現・銚子市)在住の石橋重兵衛が蘇我町から講師を招いて普及をはかったことによる。

飯岡町におけるでんぷん製造は1900(明治33)年,石毛源蔵によって開始された。当時は手動式で木製の歯車を組み合わせたものに,いわゆるわさびおろし様のものを取り付けた器具を使用しており,動力を用いるようになったのは日露戦争終了後であった2)。

大正時代にはいると個人経営や農家数件による共同経営工場等,旧海上郡内には70近くの工場が林立し操業を続けていたが,戦後の経済変動によるでんぷん販売価格の暴落や,原料買い入れの過当競争,この地方の畑作物の大転換によりサツマイモが生産されなくなったこと等により廃業していったものが多く,なかには原料を安価な輸入トウモロコシに転換し,トウモロコシでんぷんの製造を開始する業者もあらわれた。そして,現在ではでんぷん製造業者は千葉県内で5業者を残すのみとなり,細々と生産が続けられている。

飯岡町の小林農産工業株式会社は1926(大正15)年からでんぷんの製造を続けており,同社工場構内には昭和30年代に建設された施設や,現在も稼動する機械をみることができる。

上の写真は原料となるサツマイモを一時置いておく場所であり,煉瓦や大谷石が敷き詰められた周囲には水路が設置され,この水路を原料イモが水とともに流されることによって搾汁工場へ運ばれていくようになっている。

搾汁作業やでんぷんと水分の分離,乾燥などの作業は機械によって行われているが,現在稼動している機械や施設のほとんどは昭和30年代後半から40年代前半にかけて製造・建設された比較的新しいものである。その中でも搾汁機や搾汁ポンプは現在では珍しい存在となった。天井に設置されたプーリーから平ベルト伝動によって機械を駆動する方式を見ることができる。

また,現在では水流式セパレータとよばれる機械によって短時間にでんぷんと水分の分離が行われているが,以前この作業が行われていたコンクリート製の沈殿池は排水の処理施設として使用されている。

(立川 勇・阿部貴憲)

地形図 「旭」(略)

写真20-1 旧沈殿池 (1998年) 写真20-2 原料置き場 (1998年)

写真20-3 搾汁ポンプ (1998年)

参考文献

1) 千葉県:千葉県甘しょ発展史,千葉県,1968年
2) 飯岡町史編さん委員会:飯岡町史,飯岡町,1971年


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