かなめばし

33 要橋


館山市

交通関係・道路・道路橋

橋長18.1m,幅員4.1m
1932(昭和7)年

要橋は汐入川に架かり,潮留橋の下流に位置する橋である。親柱には「要橋」及び「かなめはし」と記されている。

徳川時代末期まで,汐入川は境川を合わせて現在の館山駅の西側,渚銀座の所を流れて海に入っていた。嘉永年間に汐入川の下流は人工的に改修され,現在のように市立二中の辺から左に曲がって,真っ直ぐに海に入るようにされた。この改修工事によって,新たに6町7反余の新田が開かれ,俗に小原新田と呼ばれる地が誕生したと言われている。

1923(大正12)年の関東大震災は,また著しい地変をもたらした。境川の所にあった大きな流れが,現在の汐入川にとって代わられ,それと共に,裏長須賀の辺にあった沼沢池も干上がって水田化されたと伝えられる。

また一方,関東大震災当時,六軒町通りから南の島原通りにかけての断層亀裂による破壊状況は激しく,震災後の復旧もはかばかしくなかった。しかし一度海軍航空隊が開隊されると,当時の安房北条駅と隊とを結ぶ道路が真っ先に改修され,またたくまに潮留橋まで店舗が立ち並び,六軒町に続く町並みとなった。館山の海運全盛時代には街道(現在の国道127号線)から館山海岸の北条桟橋,館山桟橋に出る道路の重要な橋として賑わっていたことと思われる。

現在の要橋は1932(昭和7)年,鉄筋コンクリート橋として,市立二中の付近,汐入川が左に曲がる直前に架けられたもので,その構造は次の通りである。

構造:鉄筋コンクリート(RC)造T桁上路橋
規模:橋長18.1m,幅員4.1m(歩0.0+車4.1+歩0.0)
    最大支間長9.1m,2径間
橋格:2等橋

なお,最近は地域住民の生活道路橋として使用されているが,傷みが激しい。

(瀧 和夫)

地形図 「館山」(略)


写真33-1 要橋全景(1997年)
写真33-2 要橋橋上部(1997年)

参考文献

1) 千葉県館山市橋梁台帳
2) 館山市編さん委員会:館山市史,第一法規,1971年


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