こうらずいどうそくどう

44 小浦隧道側道


富山町

交通関係・道路・隧道

全長95m,坑門高4.5m,幅3.6m
1890(明治23)年 

小浦隧道は,1887(明治20)年〜1890(明治23)年に施工されたものである。全長95m,坑門高4.5m,幅3.6m。この隧道は,砂岸質の山を素掘りしたもので,坑門は馬蹄形である。現在の国道127号線の小浦隧道が開通するまでは,県道として使用されていた。国道127号小浦隧道が開通してからは,所有者の生活道路として使用されていた。

調査の結果,小浦隧道側道の南側は,原形をとどめている。また日当たりの良い場所である。しかし,小浦隧道側道の北側入口付近は,崩落がかなり激しく危険な状態であり,通行は不可能である。

明治時代に施工された千葉県内(特に房総)の隧道を調査すると素堀りのものが多い。現在の国道などの主要幹線道路については,ほとんどが海側の旧道から山側の新道に隧道が新設されている。

この小浦隧道側道は,千葉県歴史の道調査報告書十六の「房総往還II」1)の中で岩井町市部から館山市へ向かう「木の根道」,「南無谷道」,「小浦(甲羅)道」のうちの一つであることが調査されている。

「木の根道」と「南無谷道」は,両道とも山越えとなり利用者が少なく,「小浦(甲羅)道」は小浦隧道を通るルートであり,以下のことが書かれている。

小浦道は,南無谷の手前にある小浜へ出て海岸沿いに南無谷へ入る道で,現在の国道はこのルートに最も近いコースをとっている1)。

このように,海岸線沿いを通るルートが最も歩きやすい道であったものと推測できる。また,隧道内部の写真からもわかるように,この隧道は直線的に掘られており,95mという長さでありながら,南側出口の採光により,隧道内の明るさが確保されている。

明治時代にこの地域に素堀りの隧道が多かったことや,南側の出口により隧道の採光を十分に取り入れられるよう工夫されていることなどから,明治期における房総半島の道路建設の技術を伺うことができる資料である。

(小山 茂)

地形図 「那古」(略)

写真44-1 小浦隧道側道(南側) (1997年) 写真44-2 小浦隧道側道(北側) (1997年)
写真44-3 小浦隧道側道の内部 (北側から南側に向けて撮影) (1997年)

参考文献

1) 千葉県教育庁生涯学習部文化課:千葉県歴史の道調査報告書十六「房総往還K」,千葉県教育委員会,1991年


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