ひがしにほんささがわえき

47 JR東日本笹川駅


東庄町

交通関係・鉄道・駅舎

木造・瓦葺・平屋建て 79平方m
1932(昭和7)年

「千葉鉄の歩み」(千葉鉄道管理局)によると,1894(明治27)年,私設総武鉄道が市川・佐倉間に開通し,次いで本所・市川間が開通したことから,1895(明治28)年には佐倉・銚子間の免許が下付され工事に着手し,1897(明治30)年に全通した。

香取郡への鉄道延長については,1897(明治30)年1月19日,成田・佐倉間が私鉄成田鉄道によって開通し,次いで1898(明治31)年には成田・佐原間が同会社によって開通している。佐原までの延長は当初小見川までの免許状であった。1901(明治34)年,成田鉄道は成田・我孫子間を開通し,主要幹線路となった。この年,小見川までの延長免許状を県に返納している。神代村役場文書に成田鉄道株式会社への回答書「大正七年中貨客数量調,香取郡神代村」があることから,成田鉄道が延長の場合の採算度を調べたものと思われる。成田鉄道が国の買収により国営に移管されたのは,1920(大正9)年に入ってからである。

佐原以東の延長は,既設の総武本線のどこへ結ぶかによっていくつかの路線が画策され,種々の促進運動を生じた。1922(大正11)年に香海鉄道(小見川線,別名佐松線)は予定線路となり1930(大正19)年までの事業として帝国議会で建設案が可決される。「千葉県史」(大正昭和編)では当時の小見川町民の喜びを「天を仰ぎ地に伏して喜んだ」と表現しているが,その後の財政緊縮政策や関東大震災による緊急財政措置により,結局鉄道が完成するのは佐原笹川間が1931(昭和6)年11月,笹川松岸間が1933(昭和8)年3月である。

1931(昭和6)年笹川停車場入口道路新設予定図によると,従来の道路が拡張・整備されて県道笹川旭間線に接続されている。現在の笹川駅より,国道356号線への取付道路は1951(昭和26)年都市計画により建設されたものである。駅舎は本屋,両便所,貨物上家及び貯炭場で,跨線橋はなかった。

(池田文彦)

地形図 「神栖」(略)

写真47-1 駅舎(正面) (1996年) 写真47-2 駅舎(構内) (1996年)

参考文献

1) 千葉県:千葉県史 大正昭和編,千葉県,1967年
2) 岩堀角次郎:香取郡誌,1920年


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