ひがしにほんいわいえき

51 JR東日本岩井駅 


富山町

交通関係・鉄道・駅舎

延面積177.2m2,駅舎前面21.84m,奥行8.57m
1918(大正7)年

岩井駅舎は,1918(大正7)年8月10日開業した。これは,北条線安房勝山〜那古船形間開通に伴うものであり,富浦・那古船形駅とともに開業した。構造は,木造平屋である。その後,関東大震災により被災し1924(大正13)年4月に復旧された。また,平成に入り1996(平成8)年9月30日に新築工事のため取り壊され,新駅舎は1997(平成9)年3月18日に完成した。

富山町史によると,

1912(明治45)年5月9日吉野達太郎ほか百余人が,村民を代表して近く敷設が予定されている北条線の鉄道停車場設置について,鉄道院総裁あてに次のような請願書を提出した(吉野家文書)。

我岩井村ノ地勢ヲ接スルニ,土地平坦ニシテ広濶ナルノミナラス,地位正二東阡北陌ノ道路二当レリ。沿岸ノ県道ハ元ヨリ本村ノ南北ヲ貫キ,其東二駛レルハ隣村平群村二出テ,更二三方分岐シテ安房中国全部二通スル(中略)交通ノ要衝タリ,本村産出ノ海陸ノ物産ハ,由来其運搬二悩ムノ状況ニアリ。就中果樹養蚕製乳品ノ如キハ,年ヲ追ッテ発展………特二枇杷ノ産額著大ニシテ,年々京浜ノ両地二輸出スルモノ,常二十数艘ノ船舶ヲ往来セシムルニ足レリ。(以下観光資源についての叙述略)

このように岩井村の他に誇りうる点を述べ,停車場開設のあかつきは,本村の発展はいうに及ばず,近隣地域に多大の恩恵をもたらす1)。

また,「千葉県安房郡誌」の紹介では,岩井駅の1920(大正9)年と1921(大正10)の乗降人数が掲載されており,年間約9万人が利用していた。

この背景には,岩井駅周辺に富山(海抜349m)から始まる滝沢馬琴の長編小説「南総里見八犬伝」の物語があったり,岩井海岸は合宿銀座ともいわれ,1903(明治36)年から岩波茂雄(岩波書店創設者:当時東京帝国大学哲学科)が,岩井の橋場屋旅館を訪れるようになり,1945(昭和20)年3月に貴族院議員に当選した際は,議員パスで当地を訪れた2)。など歴史のある所である。

岩井駅舎は,内房線にみる典型的な駅舎であり,旧岩井駅舎が存在しない現在,歴史のみが特徴として残る駅である。

(小山 茂)

地形図「保田」(略)

写真51-1 岩井停車場 大正末(1926年頃)(富山町史通史編より) 写真51-2 旧岩井駅(1993年頃)(富山町史通史編より)
写真51-3 現在の岩井駅(1997年)
図51-1 岩井駅舎の建物財産図(JR東日本 千葉支社)

参考文献

1) 富山町史編纂委員会:富山町史通史編,富山町,1993年
2) (株)ジェイアール東日本企画:駅でみつけた物語 旅もよう,東日本旅客鉄道(株) 1990年


Back
Home
Up
Next