こみなとてつどうだいいちしばのしたきょうりょう
55 小湊鉄道第1柴の下橋梁
市原市 |
交通関係・鉄道・橋梁 |
全長18.3m
1925(大正14)年3月 |
小湊鉄道は内房の五井から養老川沿いに上総中野までを結ぶ路線であるが,社名が示すとおり,当初の計画では房総半島を横断し,天津小湊に到達する線として計画された。しかし,外房の大原から内房の木更津を結ぶ予定であった木原線(現=いすみ鉄道)が上総中のまで到達すると,期せずして房総半島横断が実現したため,両者とも建設が中断して現在に至っている。沿革は次のとおりである。
1913(大正2) 年5月19日
会社設立
1913(大正2) 年11月26日
五井〜上総中野 39.1km免許取得
1925(大正14) 年3月7日
五井〜里見 25.7km開通
1926(大正15) 年9月1日
里見〜月崎 4.1km開通
1927(昭和2) 年5月16日
月崎〜上総中野 9.3km開通
1934(昭和9) 年8月
木原線 上総中野まで開通
第1柴の下橋梁は,小湊鉄道の五井起点9.3kmに所在する。この付近は穏やかな丘陵地帯であり,上総山田を出た小湊鉄道線は11パーミル(1000分の11)の下り勾配で養老川の河岸段丘に向かう。河岸段丘の上は水田であり,1m程度の築堤で開通し,養老川を横断している。市原市第1柴の下橋梁は,11パーミルの勾配を降りきった直後に位置し,農業用水路を跨ぐために設置された。橋台面間18.3m,6.10m(20フィート)3連からなる,上路式デックプレートガーター(開床式)橋梁である。橋脚はコンクリートではあるが,詳細は不明である。現状では第1連のみが用水路を跨ぎ,第2橋桁,第3橋桁は田の上を通過している。この附近は圃場整備が行われており,その際,用水路の幅を狭めたのではないかと思われる。その結果,水路であった部分が水田になり,川のない橋が出現したのではないだろうか。
小湊鉄道の特徴として,橋梁の規格が統一されていたことが上げられる。これは,6.10m(20フィート),12.95m(40フィート),19.58m(60フィート)の橋梁をあらかじめ設計しておき,橋梁の長さに応じて,適宜に組み合わせる方式である。(設計図によれば,工場で締める鋲と,現場で締める鋲を区別してあり,圧倒的に工場で締める鋲が多い。)建設経費を切り詰めるには効果的な工法であるが,地形が変化に富んでいれば,それなりの橋梁を設計しなければならない。小湊鉄道線の場合,全線が似通った地形であることが幸いして採用されたのではないかと思われる。
(山下耕一)
地形図 「海土有木」「姉崎」(略)
写真55-1 第1柴の下橋梁全景(画面右が起点方) (1997年) |
図55-1 20フィート橋梁平面図 (●は工場締め,◎は現場締めを示す)3) |
図55-2 20フィート橋梁側面図 (●は工場締め,◎は現場締めを示す)3) |
図55-3 20フィート橋梁断面図 (●は工場締め,◎は現場締めを示す)3) |
参考文献
1) 白土貞夫:ちばの鉄道一世紀, 崙書房,1996年
2) 宮脇俊三・原田勝正:日本鉄道名所 第3巻 首都圏各線,小学館,1987年
3) 小湊鉄道:20フィート上路鋼板桁設計図