ひがしにほんかみかつただいいちあーちきょう

58 JR東日本上勝田第1アーチ橋 


佐倉市

交通関係・鉄道・橋梁

全長8.2m,全幅19.55m,全高6.98m
1900(明治33)年5月

上勝田第1拱渠は,総武本線南酒々井〜榎戸間(御茶ノ水起点から59.402km)に所在し,起点方台地の直下に位置する農道を跨ぐために設置された,煉瓦アーチ拱渠である。現役であるため,内部は自動車などの接触による傷が多数見られ,抗門ぬは亀裂や煉瓦の剥落が見られるが,構造的な損傷はない。

線路は佐倉の水田地帯から北総台地へ上るため,南酒々井駅の手前(起点から57km付近)から榎戸駅手前(起点から61km付近)まで,10パーミル(1000分の10)の連続勾配でこの区間を通過しているが,その比高差は約30mである。また,この区間は台地と谷津田が交錯する区間でもあり,台地部分は切り通し,谷津田部分は築堤で通過している。

アーチ環は焼詰煉瓦による4枚巻で,イギリス積の軒蛇腹,切石を谷積にした翼壁を備えているが,要石,笠石,帯石,題額,ピラスターは見られない。

構造図によれば,主な法量は次のとおりである。
全長=8200mm
全幅=19550mm
全高=6890mm
土被り=4200mm(抗門上部〜レール面)
道路面高=2520mm(基盤から)
軌道敷幅=6096mm(中央部・単線)
抗門長=8200mm(上端部)
抗門高=6890mm(基盤から)
アーチ環半径=1830mm(内径)
アーチ環厚さ=450mm
アーチ環腰高=2900mm(基盤〜アーチ環下部)
アーチ環腰高=1470mm(路面〜アーチ環下部)
煉瓦小=100mm〜110mm
煉瓦長手=220mm
煉瓦高=55mm〜60mm

抗門は3段からなる軒蛇腹がイギリス積で施されており,上から小縦積,長手横積,長手横積の順に積まれている。特に,2段目と3段目はアーチ環と同質の焼詰煉瓦が使用されている。

アーチ環は純然たる半円形で,焼結煉瓦を使用しているが,道路拱渠のためか,腰部は一般煉瓦で垂直に作られている。したがって,この拱渠は軒蛇腹とアーチ環が黒みを帯びたスタイルとなっており,これが唯一の装飾と言えるであろう。

この拱渠は,構造図によれば1897(明治30)年6月に竣工したことになっている。しかし,この区間は総武鉄道によって1900(明治33)年5月1日に開業〔佐倉〜競策問)されており,その際に建造されたと考える方が自然である。その後,総武鉄道は1907(明治40)年9月1日,帝国鉄道庁に買収され,総武本線となった。以後,国鉄,JRを経て,現在まで使用されているが,JR東日本では「JR東日本の歴史的建造物」に指定し,拱渠の前に説明板を設置して,産業遺跡の啓発に努めている。

なお,この拱渠の先(起点から59.456km)に,上勝田2号拱渠が所在する。この拱渠は高崎川を跨ぐもので,構造図では1958(昭和33)年2月に竣工したことになっている。しかし,軒蛇腹やアーチ環を始め,基本的な構造は上勝田第1拱渠とほぼ同一であり,1958(昭和33)年には,開業当初から所在した拱渠を抜本的に改修したものと考えられる。

(山下耕一)

地形図「酒々井」(略)

写真58−1 上勝田第1拱渠全景(左が起点方)(1997年)

図58-1 上勝田第1拱渠付近線路断面図2)

写真58-2 上勝田第1拱渠部分(1997年) 写真58-3 上勝田第1拱渠遠景(画面左側)(1997年)
(画面右の暗い部分が,上勝田第2拱渠である。)
図58-2 上勝田第1拱渠抗門構造図3) 図58-3 上勝田第1拱渠平面図3)

参考文献

1)白土貞夫:ちばの鉄道一世紀,崙書房,1996年
2)宮脇俊三・原田勝正編:日本鉄道名所 第3巻 首都圏各線,小学館,1987年
3)銚子保線区:上勝田1号拱渠図面,日本国有鉄道千葉鉄道管理局,1961年

※「図58-1上勝田第1拱渠附近線路断面図」は,小学館刊『日本鉄道名所第3巻 首都圏各線』101ぺ一ジに掲載されている「総武本線線路断面図」を,転載したものである。


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