ひがしにほんえのきどしんでんきょうりょう

59 JR東日本榎戸新田橋梁


八街市

交通関係・鉄道・橋梁

全長7.3m,全幅19m, 全高5.05m
1897(明治30)年12月

南酒々井駅手前から10パーミル(1000分の10)の連続勾配を開始した総武本線は,榎戸駅の手前で北総台地の上に出る。しかし,この付近も台地と谷津田が交錯しており,榎戸駅(標高39.8m)と八街駅(標高44.2m)の比高差は4.4mであるにも関わらず,榎戸を出た総武本線は間もなく10パーミルの下り勾配で谷津田に向かい,谷津田部分を築堤で横断すると,再び10パーミルの上り勾配で八街に向かっている。

榎戸新田橋梁は,この谷津田部分の中央部に,用水路を跨ぐために設けられた橋梁で,総武本線榎戸〜八街間(御茶ノ水起点から62.384km)に所在する。谷津田の上流側(進行左側)一帯は宅地開発により,住宅地が隣接し用水路には護岸工事が施されているが,橋梁自体はほぼ原型を保っているものと思われる。

八街市教育委員会の予備調査によれば,58上勝田第1アーチ橋と同じく,アーチ環は焼詰煉瓦による4枚巻。軒蛇腹。切石を谷積にした翼壁を有し,題額,笠石,ピラスターがないなどの外観的な特徴を見ることができるが,詳細を確認することはできなかった。

構造図によれば,主な法量は次のとおりである。
全長=7300mm
全幅=19000mm
全高=5050mm
土被り=5100mm(抗門上部〜レール面)
軌道敷幅=5944mm(中央部・単線)
抗門長=6000mm(上端部)
抗門高=5050mm(基盤から)
水路幅=1840mm
アーチ環半径=920mm(内径)
アーチ環厚さ=450mm

アーチ環は純然たる半円形である。焼結煉瓦を使用しているが,腰部は一般煉瓦で垂直に作られている。また,抗門構造図を見ると,水路の底部には割石が敷き詰められているように描かれているが,水が濁っており水底を確認することはできなかった。推測ではあるが,隣接する住宅地の部分では護岸工事が水底まで施されており,また,抗門付近がコンクリートによって補強されていることを考えあわせると,割石は既に撤去されている可能性が強いと思われる。

榎戸新田橋梁は,構造図によれば1897(明治30)年12月の竣工である。この区間が1900(明治33)年5月1日に開業(佐倉〜成東間)したことを考えると,開通の2年半前に完成していたことになる。敷設工事にあたって,敷設工事の早い時期に着手されたのは明らかである。その理由については,軟弱地盤に設ける築堤及び橋梁であるため,早期に竣工させて構築物の養生(安定)を狙ったものとも考えられるが詳細は不明である。

(山下耕一)

地形図 「酒々井」(略)

図59-1 榎戸新田橋梁付近線路断面図  写真59-1 榎戸新田橋梁全景
写真59-2 榎戸新田橋梁部分 図59-2 榎戸新田橋梁抗門構造図3)
図59-3 榎戸新田橋梁平面図3)

参考文献

1) 白土貞夫:ちばの鉄道一世紀,崙書房,1996年
2) 宮脇俊三・原田勝正編:日本鉄道名所 第3巻首都圏各線,小学館,1987年
3) 銚子保線区:上勝田1号拱渠図面,日本国有鉄道千葉鉄道管理局,1961年

※「図59-1 榎戸新田橋梁附近線路断面図」は,小学館刊『日本鉄道名所第3巻 首都圏各線』101ページに掲載されている「総武本線線路断面図」を,転載したものである。


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