できさんがたでんききかんしゃ

62 デキ3型電気機関車 


銚子市

交通関係・鉄道・車両

全長4.5m,幅2.1m 高さ3.3m
1922(大正11)年

1922(大正11)年ドイツ・AEG社製造の小型電気機関車。全長4.5m,幅2.1m,高さ3.3m,自重10tで,集電装置を架線に接触させると全長よりも高さの方が大きくなり,車体は運転室の前後に制御用の抵抗器を収めたボンネットを配置した凸型というユーモラスなスタイルの電気機関車として知られている1)。

架線電圧は600ボルト,電動機は出力30kWを2基備え,制御方式は運転室内に直接600Vを引き込み,主幹制御器とよばれるスイッチによって架線からの電源と電動機,抵抗器の接続を切り替える“直接制御”と呼ばれる方式である。減速比は3.76と大きくとってあるため,空車の貨車であれば10両程度は悠に牽引できたという。

銚子電鉄には1941(昭和16)年2月28日付けで入線した。はじめは宇部の沖ノ山鉱山株式会社が構内鉄道用として輸入したものであるが,構内鉄道用とはいえある程度の重量がある列車に対しては力不足となったため手放され,車両メーカーであった日本鉄道自動車工業を経ての入線である。当時は貨物の取扱量が激増したにもかかわらず,日中戦争以来続いていたガソリン統制によって,保有していたガソリン機関車が思うように運用できなくなったというのが入線の理由である2)。

当時の役割は旧国鉄の銚子駅から銚子電鉄仲ノ町駅構内までのヤマサ醤油専用線で,製品である醤油や原料を積載した貨車を牽引することであったが,1956(昭和31)年2月に銚子駅構内からヤマサ醤油第3工場内に専用線が敷設され,貨物列車の牽引も架線設備が不要なディーゼル機関車によることになったために貨物取扱量が激減した。

その後は仲ノ町駅に近い原料塩の溶解工場まで原料塩を積載した貨車の牽引に細々と使われていたが,検査や故障等で電車が不足した際には客車を牽引したり,また電車に客車を増結した際は終着駅で電車の連結位置を変えることが必要であるが,銚子駅の線路配置はそれが不可能であるため,列車の先頭に立って活躍したこともあった。そして1984(昭和59)年1月29日をもって細々と続けられていた原料塩の輸送が,旧国鉄の貨物輸送体系の大幅な合理化を受けてトラック輸送に切り替えられたため,これと同時にデキ3の定期仕業は無くなった。

通常,役割を失った鉄道車両の殆どは廃車となっていくが,現存する電気機関車としては我が国最古の部類に入り,定期仕業がないとはいえ鉄道上を走行することが可能な数少ない車両であることや,狭軌鉄道用とは思えない小ささと凸型というユーモラスなスタイルから鉄道ファンの間では余りにも有名な車両であるため,現在でもその姿を見学に訪れる人は後を絶たない。

しかし現在では全般検査の期限が切れたままで新たに検査が実施されておらず,法律上は車両として扱うことができず側線に留置されたままでいる。

また同鉄道の車両は全て日本全国の鉄道から譲渡を受けたもので,この他にも大変貴重な車両が多数在籍しているが,1939(昭和14)年に同線に入線した「デハ101型電車」は,全長11mの小型の電車で現在の車両では見ることのできない「板台枠台車」と呼ばれる特殊な型状の台車を持っている。

「板台枠台車」は鋼板と山形鋼を組み合わせて台車を構成しているもので,組立には台車としては珍しくリベットが用いられている等当時の技術を偲ぶことができる。この台車は元々旧下野電気鉄道(路線は現在,東武鉄道鬼怒川線となっている。)デハ103型電車用として1926(大正15)年雨宮製作所で製作されたものである。同車両が廃車になった後,台車だけを東武鉄道浅草工場が保管していたものである2)。

また車輪は輪心部分がスポークとなっている型式であるが,大きく分かれたスポークがさらに細かく二本に分かれているという通称゛松葉スポーク"と呼ばれる型式の車輪である。筆者の知るところによると鉄道上に現存する車両(保存・展示用ではなく)で唯一のものではないかと思われるが,仮にそうであるとすると板台枠であることを含め,製造メーカーともども大変貴重な存在である。

銚子電鉄デハ101型電車はこの台車と新たに製作した車体を組み合わせて誕生した電車である。

文献によってはデハ101型電車は下野電気鉄道の電車を譲渡されたものであるとする記述があるが,車籍を見れば明らかな通り全くの新製であり,下野から引き継いだものは台車だけであることがわかる。

簡単な衝立とも呼べる簡単な仕切で仕切られた運転室にはウエスチングハウス製の主幹制御器が取り付けられており,デキ3と同じく直接制御式である。

長く同線の主力として活躍し,昭和50年代にはもっぱら多客時の増結用として使用されていたが,現在は全般検査の期限が切れたままであり,側線に留置されたままでいる。

次に1951(昭和26)年に同線に入線した「デハ301型電車」は,1930(昭和5)年に新潟鉄工所で製造された全長15mの電車であり,鶴見臨港鉄道(現・JR鶴見線)で使用されていたものである。同線が旧国鉄に買収され,車両を統一したため旧式の車両を各地に譲渡した内の1両である2)。しかし同系車のうち現存しているものはデハ301を含めて2両だけであり,静岡県の静岡鉄道に現存しているものは車両としてではなく,機械扱いであるため営業用として旅客を乗せて走行することは不可能である。その点デハ301型電車は営業用車両として扱われており,生きた産業遺産に身近に接することができる貴重な存在である。

車齢は70年近くになり,更新工事がたびたび実施されているが,原形を大きく損なうような改造工事は実施されておらず,また入線時をはじめ数回集電装置の交換が行われたが,現在は製造当初と同じパンタグラフ集電に改められ,より製造当時の姿に近くなった。

1994(平成6)年に新型の車両が増備されたため第一線を退いた感があるが,同線内では大型の車両であることから多客時の増結用として活躍している。

(栗城一成・阿部貴憲)

地形図 「銚子」(略)

写真62-1 デキ3型電気機関車(1997年) 写真62-2 デハ101型電車の台車(1997年)
写真62-3 デハ301型電車(1998年)

参考文献

1)銚子電気鉄道(株):銚子電鉄ガイド,銚子電気鉄道(株),1982年
2)(株)電気車研究会:鉄道ピクトリアル‘96年4月増刊号,(株)電気車研究会,1996年
3)プレスアイゼンバーン:THEレイルNo.18,(株)エリエイ出版部


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