ひがしにほんきゅういわとみとんねる

65 JR東日本旧岩富トンネル


富山町

交通・鉄道・隧道 

全長736m,幅4.8m
1918(大正7)年

旧岩富トンネルは,北条線(改称以前木更津線)の鉄道用トンネル(全長736m)であり,位置は,岩井駅と富浦駅の間にある。

1918(大正7)年8月10日に安房勝山から那古船形まで延長された時に供用された。また,北条線の名称は,1919(大正8)年安房北条(現在の館山)まで開通したときに付けられてものであり,1929(昭和4)年に房総循環鉄道が実現するまで続いた1)。

調査結果は,写真に示すとおりであり,雑木林に覆われ,トンネルに近づくことができなかったが,写真から判断すると,アーチ環が煉瓦(4重)で,ポータルに石を張った拱渠であり,煉瓦拱渠と言われるものである。

坑門側壁は石積み,内部は煉瓦積み。坑門は馬蹄形であり,震災まで使用されていたことが記載されていた。

富山町史には,震災の被害として,

南無谷トンネル(旧岩富トンネル)の被害は最大であった。上部二カ所の崩壊のため,トンネル中央部240mが土砂に埋まった。復旧は,1923(大正12)年11月28日。西側に1926(大正15)年11月に新トンネル完成2)。

と書かれている。

最後に内房線の鉄道用トンネルとしては鋸山トンネルに続く2番目に長いトンネルであり,震災がなければ現在も使用されていたものと考えられる。また,国道127号線から50〜60mの所にあり,雑木林等を排除すれば新旧の岩富トンネルを比較することもできる。

(小山茂)

地形図「那古」(略)

写真65-1 調査時の(旧)岩富トンネル(1997年) 

参考文献

1)白土貞夫:ちばの鉄道一世紀,崙書房出版,1996年
2)富山町史編纂委員会:富山町史通史編,富山町,1993年


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