いぬぼうさきとうだい

66 犬吠埼灯台


銚子市

交通関係・海事・灯台

高さ31.3m
1874(明治7)年

犬吠埼灯台というと白亜の巨塔を連想するが,完成当時を描いた錦絵「總州銚子港燈臺略圖」を見ると明らかにレンガ造りであることがわかる。また入口や窓の上部と底部はすべて石造である。

1866(慶応2)年5月,いわゆる江戸条約(改税条約11条)によって徳川幕府はアメリカ,イギリス,フランス,オランダの4か国から外国貿易の安全のために西洋形第1等灯台の建設を要求され灯台8基,灯船2隻が建造されることになった。その後,政府も灯台の効用を認識し,条約灯台に入らなかった犬吠埼も以前からアメリカ公使の要望もあり18番目の灯台として建造された1)。

起工は1872(明治5)年9月28日。1874(明治7)年11月15日に点灯された。英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントン(1868年来日,1876年離日)の設計・指導による。彼は,木造・石造・鉄造など多くの灯台を設置したが,レンガ造りは4基である。

関東大震災,戦災にも耐えて,築後ほぼ130年の現在までレンガ造りの建築物としては日本一の高さを誇っている。上部機械室への階段は99段あり,九十九里浜にちなんだとされているが,真偽のほどは不明である。

多量に使用するレンガについて,設計技師ブラントンと灯台寮技師中沢孝政との間に確執があった。ブラントンはイギリス製でなければ適せぬと主張して譲らず,中沢は国産にこだわった。余山村(現・銚子市余山町)で焼いた物は土質が悪く強度がたりず,苦心を重ねて利根川を遡りながら,香取郡高岡村(現・下総町)で原料になる良土を見つけた。

輸入品に劣らぬ国産のレンガを用いることができ,建設費を抑えることができた。それにもかかわらず当時の金額で44,835円63銭と破格の事業であった。香取郡産の木材,茨城県北条町小田山産の花崗岩,海上郡高神村(現・銚子市高神町)産の銚子石などが造営材料として用いられ,セメント,ガラス,金属器具,灯明機器などはイギリスからの輸入品であった2)。

レンガは灯台,付属舎に19万3千枚使われたが,ブラントンはその品質について疑問をもち帰国後,イギリス土木学会で報告した「日本の灯台」のなかで不満を述べている3)。

海上保安庁第三管区犬吠埼航路標識事務所にある沿革,経歴書,その他の資料から抜粋すると

 1897(明治7)年 点灯。ドテ一型4重芯灯=ランプ,フレネル式8面レンズ。
    (フランス・ソータハレー社製第1等8面閃光レンズ)
    初代台長はスコットランドのウィリアム・パウエルズ,日本人職員3人。
 1910(明治43〉年3月 石油白熱灯ルックス式に変更
 1923(大正12)年5月 電灯1000Wに変更
 1930(昭和5)年 電灯1500Wに変更
 1945(昭和20)年8月 終戦まぎわの13日に米軍艦載機グラマン「F6F」の編隊による攻撃を受け灯室も被爆,台員1人が殉職。消灯。3日後の13日には300Wの裸電球を用いて仮点灯。
 1945(昭和20)年11月 レンズ8面を4面に改造
 1951(昭和26)年4月 フレネル式1等レンズ,回転水銀槽式となる。
    (灯台局レンズ工場製第1等閃光レンズ)
 1962(昭和37)年 電動駆動式に改良
 1969(昭和44)年5月 コンクリート壁一部脱落補修。
 1973(昭和48〉年 灯塔の外壁仕上げを,長年のしっくい塗壁からラスモルタル塗吹き仕上げに改修

1983(昭和58)年度には古い灯台の老朽度調査を実施。劣化,汚染が著しく保有耐力上建替えるか,大改造する必要があると判断された。翌年度には歴史的・文化財的価値を見直すため,海上保安庁,学識経験者および有識者により「灯台施設調査委員会」が設置され,犬吠埼灯台の改修工法も審議の対象になった。1986(昭和61〉年度に改修計画が承認された。当時の補強改修工事については歴史的・文化財的価値の保存に留意しながら,航路標識機能の回復が図られた。当時の工事資料を抜粋・要約・引用する4)。

 改修工事設計に留意した事項

 (1)外人技師ブラントンが手掛けた灯台であること。
 (2)帯鉄で補強されたレンガ積み構造の高塔。
 (3)国産のレンガが使用されていること。
 (4)灯塔壁体の2重構造が工法的に貴重である。
 (5)灯台らしい形状であること。
 (6)地域の象徴的存在であること。

外観を大きく変更することなく,できるだけ建設当時の趣をのこす補強工法として「レンガ壁とPCコンクリートとの合成構造」を選定した。この工法によって組積材自体のせん断ずれに対してPC鋼線で抵抗し,かっ被覆コンクリートの厚さも薄くすることが可能である。この工事中,灯室内壁に使用されている各鋳鉄板にはR・H・ブラントン宛に送付したときのままの宛名がペイントで書き込まれていた。またレンガ構造はフランス積で塔の外壁から13インチまでの各層のレンガ積はすべてポートランドセメントで接着し,それ以外には石灰モルタルを使った。テイレン工法とよばれる鋼帯の挿入など,ブラントンの残した記述の確認などの細心慎重な現場検証もおこなわれた。1987(昭和62)年度の補強内容の主なものは

・灯塔の1973(昭和48)年度の施工モルタル(5cm)を撤去し,PC工法によってコンクリートの厚さは15cmにした。塔の直径は差し引き20cm建設当初より太くなったことになる。
・塔の外部塗装は,複層模様吹付け材,仕上げ面にフッ素樹脂の塗装をおこなった。

今までとは見違えるような白亜の灯塔は約半年ぶりに姿を現わすことになった。

塔内部1階の展示室には古文書類の他,灯塔に用いられているものと同じレンガ,灯火機器,レンズの一部等が保存,展示されている。また,愛知県の明治村には第2次大戦中の空襲(銃撃)で破損した建設当初からのレンズが一部復元のうえ保存,展示されている。ブラントンは徳川幕府が契約招聘した外国人技術者で灯台のほか港湾6),橋梁の設計工事,また鉄道の設計についても政府の諮問をうけている。彼のいた灯台寮に併設された修技校では助手パアリーをして測量・土木建築の教育にあたらせた。のちに工部省工学寮→工部大学校→東京帝国大学工科大学に発展する。日本近代化のための土木工学について最大の貢献者といわれている。

現在の犬吠埼灯台の主な数値

 地上頂高:31.3m  海面上灯高:51.8m 光度:200万(cd) 閃白光15秒に1閃光
 光達距離:19.5海里(約35km) 光源:400(W)メタルハライドランプ
 使用レンズ:第1等4面フレネルレンズ

(栗城一成)

地形図「銚子」(略)

写真66-1 現在の犬吠埼灯台(1997)年

図66-1 1987(昭和62)年施工の外壁補修工事の施工図
結果として直径が20cm太くなった。4)

図66-2 完成当時を描いた錦絵(犬吠埼航路標識事務所蔵 図66-3 ブラントン(犬吠埼航路標識事務所蔵)

参考文献

1) 海上保安庁灯台部:日本灯台史100年 燈光会,1969年,非売品
2) 銚子市観光協会:犬吠埼灯台史,銚子市観光協会,1935年
3) R・H・ブラントン/徳力真太郎訳:お雇い外人の見た近代日本,講談社,1986年
4) 海上保安庁灯台部工務課:航路標識技術要報27号,海上保安庁,1988年
5) 篠崎四郎:銚子市史,銚子市,1981年
6) 横浜開港資料館:R.H.Brunton (財)横浜開港資料普及協会,1991年


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