ようろうがわさいひろいたばめぜき

69 養老川西広板羽目堰 


市原市

土木関係・河川・堰

木造・コンクリート擁壁,堰幅34間(61.8m)
1920(大正9)年

古来より川の水は畑田の灌漑に利用されていた。河川の水を利用するために必要な技術として堰の構築がある。

養老川下流には明治期に,吹上堰,出津堰,中瀬堰,飯沼堰,廿五里堰,そして,西広堰(養老川西広板羽目堰)の6堰が存在していた。中でも養老川西広板羽目堰は,その構造的発想や機能等について他に類例を見ない施設である。

養老川西広板羽目堰は,夷隅郡山田村の渡辺善右衛門によって1879(明治12)年から構築の計画が進められ,幾たびかの失敗を重ねたが1885(明治18〉年8月30日に原型の養老川西広板羽目堰が完成している。この板羽目堰は現存するものとは違い土俵と羽目板によって構築されている。その後,1988(明治21)年に板羽目増設工事を行い堰幅14間(25.6m)を増設して28間(50.1m)とした。

現存の養老川西広板羽目堰,堰幅34間(61.8m)に改築されたのは,1920(大正9年)で,設計は当時の千葉県内務部耕地課技手桜井彦三と耕地整理組合技手立野總二の両氏であった。両氏は,堰止めにかかる各部の水圧を綿密に考慮した上でさらにその力を利用し両岸にある1本の横桟木をはずすだけで堰体中央より二方倒壊する仕組みとした。

その後,1940(昭和15)年には,堰基礎部の老朽化のため流張をコンクリートに改修し,1942(昭和17)年には,堰流の上に厚さ1尺(30.3cm)のコンクリートを施し,止個所に,幅1尺8寸(54.5cm),厚さ1尺(30.3cm)の花崗岩の土台を1列に敷設する等の若干の改造を行った1)。

1979(昭和54)年には,水需要の増大等に対応するため養老川西広板羽目堰の下流約100mの地点にコンクリート可動堰を構築したため養老川西広板羽目堰は,約100年の現役を退いた。

構造および部材は図69-1に示した通りであり,堰幅34間(61.8m)の板羽目堰を構築するためには,親柱,頭,控それぞれ33本,張31本,同木32本,長板78枚,短板512枚が使用されている。

構造上最大の特徴は,頭が中央から左右の岸に向かって傾斜し堰が流水から受ける圧力を両岸に分散させていることや,親柱,帆立が下流側に傾斜し,堰の浮き上がりを防いでいることである。そして,それらの力を利用し,左右両岸の1番端の張(横桟木)をはずすことによって一瞬のうちに堰は中央より二方倒壊する仕組になっている。それぞれの部材はワイヤーによって結ばれているため,流失することなく回収でき,再度堰の組立に使用する2)。

この優れた養老川西広板羽目堰の構築技術と機能の保存のため1979(昭和54)年3月に養老川西広板羽目堰保存会が結成され,数年に一度,組立公開を行って貴重な板羽目堰の保存をしている。

なお,養老川西広板羽目堰は,1979(昭和54)年3月10日に市原市有形民俗文化財に指定され,さらに,1994(平成6)年に農林水産省主催の「第三回日本のむら景観コンテスト」文化部門において農林水産大臣賞を受賞した。

(白石 稔・在原 徹)

地形図 「姉崎」(略)

写真69-1 養老川西広板羽目堰(1995年)
(市原市教育センター提供)
図69-1 養老川西広板羽目堰(西広堰総合調査報告書より) 

写真69-2 堰左岸の様子(1995年)一番右側の張をはずすと堰は一瞬のうちに倒壊する
(市原市教育センター提供)

図69-2 養老川西広板羽目堰の構造(市原市教育委員会提供)

参考文献

1) 千葉県教育委員会:西広堰総合調査報告書−養老川西広板羽目堰についての調査研究ー,千葉県教育委員会,1966年
2) 佐藤俊郎・中村好男・森友利:西広板羽目堰の構築技術と機能保存,農業土木学会誌第59巻第12号,1991年


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