やなぎはらすいこう

72 柳原水閘


松戸市

土木関係・河川・閘門

長15m,幅17m,高5m
1904(明治37)年

「柳原水閘」(写真72‐1)は,大水の時に,松戸市を貫流する坂川へ江戸川の水が逆流するのを防ぐ目的で,1904(明治37)年に建設された4連アーチの煉瓦造水門である。利根川,江戸川周辺において,それまで木造であった水門が煉瓦造へ建て替えられた最初は1887(明治20)年に完成した埼玉県本庄市の「備前渠樋管」1)(解体)であり,最後は鉄筋コンクリート造へ技術が移行する過程で1921(大正10)年に建設された茨城県東町の煉瓦・コンクリート混成造「横利根閘門」(現存)である。「柳原水閘」は煉瓦造水門が最も盛んに建設された明治30年代後期のものの一つであるが,規模の大きさ,デザインの優雅さ,保存状態の良さから見て,関東地方に現存する煉瓦造水門の中で第一級のものである。水門としての機能は隣接して建設された新しい水門に譲っているが,橋としては現役であり,近代橋梁としても極めて貴重な近代化遺産といえる。

「柳原水閘」の表面は“コーヒー色”をした俗に横黒・鼻黒と呼ばれる一面を強く焼きしめた千葉,茨城両県の水門に見られる黒系統の煉瓦が使用されている。対照的に隣の埼玉県の水門には“紅茶色”をした赤系統の煉瓦が使用されており,県によって違いが見られる。

「柳原水閘」の設計者は,1900(明治33)年に東京帝国大学の土木科を卒業し,すぐに大学院へ進み,河川工学を専攻した布佐(千葉県我孫子市)の井上二郎(1873-1941)(写真72-2)である。設計当時,井上は栃木県庁に勤務する30歳の土木技師であった2)3)。井上の名前と共に水門の銘板に刻まれている八木原五右衛門(1842-1915)は井上の伯父(母の兄)で,江戸時代に出版された『利根川図志』4)にも登場する利根川水運で名高い小堀河岸(現:茨城県取手市)の寺田勘兵衛家の出身である。彼は寺田勘兵衛家を出て松戸の八木原家を継いだ。

「柳原水閘」より坂川を松戸の市街地へ向かって遡ると,もう一基,1898(明治31)年に建設された3連アーチの煉瓦造水門「小山樋門」(写真72-3)があるが,この樋門の銘板にも「小金町長 八木原五右衛門」と記されている。八木原は松戸の治水事業に多大な貢献をしており,井上が「柳原水閘」を設計したのも伯父・八木原の依頼によるものと見られる。

「柳原水間」に使用されている煉瓦は,八木原五右衛門が宇都宮に赴任中の甥・井上二郎に送った1903(明治36)年11月16日付の書簡から,また「小山樋門」の煉瓦は,その刻印と利根川左岸にあった煉瓦工場跡に残っている煉瓦の刻印が一致することからその製造工場を知ることができる。この工場とは明治になって寺田勘兵衛家が小堀河岸近くの利根川左岸に建てた煉瓦工場である。この小堀河岸と煉瓦工場のあった所の利根川は屈曲していたために,1900(明治33)年に始まり,1930(昭和5)年に終わった利根川大改修工事の際に新しい水路が開削されたために残され,今や往時の利根川の情景を残す貴重な場所(千葉県我孫子市と茨城県取手市の境界にある古利根沼)(写真72-4)となっている。

井上二郎は水戸街道藤代宿(現:茨城県藤代町)の本陣飯田(横瀬)家の生まれで,母・満幾子(まき,マキ)は寺田勘兵衛家の出である。「利根運河」が開通したのは井上が16歳の時であった。井上の父・飯田主作,伯父・寺田勘兵衛は共に「利根運河」開削の主唱者である廣瀬誠一郎(1837-1890)と昵懇の間柄であったことから,井上が土木工学の道へ進んだ動機の幾分かは廣瀬から与えられたと考えられる。井上は,1897(明治30)年学生の時に,千葉県布佐町相島(現:我孫子市)の井上ふさと結婚したが,養家「井上佐次兵衛家」も『利根川図志』に紹介されている旧家である。この利根川河畔の町布佐にほぼ同い年の東京帝国大学を卒業した三人の若者‐理科出身の気象学者岡田武松,法科出の民俗学者柳田國男,それに工科の井上二郎‐が集っていたのである。彼らの交流にも興味を呼ぶものがある5)。

(是永定美)

付記:産業考古学会は1995(平成7)年に「柳原水閘」を推薦産業遺産に認定し,さらに同年,松戸市指定有形文化財に指定された。

地形図 「船橋」「松戸」(略)

写真72‐1 柳原水閘(1995年) 写真72-2 井上二郎(井上基氏提供)
写真72-3 小山樋門(1993年)

写真72-4 古利根沼(1998年)
(左側:干葉県我孫子市,右側:茨城県取手市)

参考文献

1) 是永定美:土木史研究,第17号,p.37,1997年
2) 是永定美:産業考古学会誌,78号,p.8,1995年
3) 是永定美:土木史研究,第16号,p.491,1996年
4) 赤松宗旦(柳田国男校訂),岩波書店,1994年
5) 是永定美:土木史研究,第18号,p.287,1998年


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