73 旧千葉県都川給水塔

きゅうちばけんみやこがわきゅうすいとう

73 旧千葉県都川給水塔

73 旧千葉県都川給水塔


73 旧千葉県都川給水塔

千葉市

土木関係・上下水道・給水塔

高架水槽のHWL 海抜50m
1937(昭和12)年

給水塔は千葉浄水場の施設の一部である。中央区矢作町にある浄水場は,1934(昭和9)年に水道施設を成立する許可を得た千葉県により,同県水道事務所が開かれた1年後に,千葉水源工場として1935(昭和10)年11月から1936(昭和11)年2月にかけて建設された。その建設において,5個の深い井戸(内径30cm,深度200mの井戸二つと深度140mの井戸三つ)が掘られ,当時の計画概要によると,都村の地下水を「主トシテ千葉市内二給水シ,他ハ江戸川系統ト連絡」するために建てられた施設であった。

施設は,千葉市を東西に流れる都川の北方に位置するボアホール・ポンプや送水ポンプ等の入った本館と,都川の南方の台地上に位置する内径29mの配水池とその東に聳える給水塔からなり,本館と台地上の部分を結ぶための階段と水道管も設けられている。

給水塔は配水池からの配水では水圧の足りない標高の高いところへの配水(「高区配水」)のための施設であり,上部には,満水位標高50m,内径11m,有効水深5m,容量475立方m の高架水槽が設けられている。この容量は,7万人を対象に,1日最大給水量の約1時間分に当たる。

外観は,5階建ての正12角形平面の給水塔の部分とその北側に付く長方形平面の玄関とその上の階段室の部分とからなる。構造全体は鉄筋コンクリートである。5階には,コーニスのように突出する12角形のバルコニーが巡る。勾配の浅い円錐形の屋根の天辺に円筒形の小型明かり取り天窓が乗る。建物は芝生の生えた基壇の上に建ち,その中に地下室が入っている。基壇の北側,建物の中央軸線上に,入口までの,コンクリートの欄干のある,踊り場付き階段が設けられている。

給水塔は,様式的に,建設当時国際的に流行になっていたアール・デコ風の建物である。入口の周囲に巨大なシーマ・レヴェルサや12角形の部分の台座の上部に半円形刳り形がそれぞれ見られるが,外観全体に,古典様式の刳り形は殆ど利用されておらず,面の突出と引っ込みだけで刳り形の印象を与える。玄関の隅に面の引っ込みがあるが,上部の階段塔では,逆に隅のところが突出し,角柱のように見える。外観は白く塗ったモルタル仕上で,玄関と12角形の部分の台座のところに,石造の雰囲気が出され,ブロックとブロックのすき間の線が表現されている。

1階と2階では,12角形の全ての面に窓があるが,3階と4階では,窓は1面おきにしかなく,4階の窓の上部は半円形である。1階から4階までに窓がある面では,各々の階の窓の間に引っ込みのパネルがあり,窓と合わせて,垂直の細長いみぞをなしており,外観にアクセントを与えている。上の階に上部が半円形の窓の付いた同様なパネルが階段塔の北面にも見られる。

内部構成をみると,最上の2階(4階と5階)は,高架水槽が占めており,5階では,水槽の周囲にバルコニーを巡らし,4階では,水槽と12角形の塔の間に狭い通路が設けられている。2階と3階の内部では,12角形の面の合わせのところにコンクリートのピーアーと梁が表現されている。これらの階は文庫や事務室として利用されていた。1階は配水及び水槽まで水を汲むためのポンプ等の入っている機械室である。当初の設備は,馬力電動機直結「タービンポンプ」は3台(そのうち,1台備)であったが,全ては1977(昭和52)年に改造されていた。建物の中央に,直径およそ2mの鉄筋コンクリートの円筒形の垂直通路があり,その中に高架水槽までの供給とそこからの配水のための水道管(直径350mm)が設けられている。構造的に,この円筒形の通路は放射状の鉄筋コンクリートの梁の内側のはしを支えている。類例として,同じ1937(昭和12)年完成の栗山給水塔が松戸市に残っているが,平面は12角形ではなく,円筒になっている。

給水塔やその他の施設が建設された当時,古写真に見られるように,敷地の周りに田畑地帯が広がり,農家や農事試験場の建物が点在しただけであったが,周辺地域が全面的に開発された現在,台地上の施設を囲む芝生と桜の木々はコンクリートとアスファルトの中の自然のオアシスとして残り,都市景観において益々重要かつ珍しい存在になってきている。

現在も,高架水槽は使用されているが,1991(平成3)年に,遠方監視制御設備工事が始まり,1993(平成5)年から無人施設となり,誉田給水場より遠方監視が行われている。また,表流水施設に変わり,1993(平成5)年4月より地下水は予備水源となり,誉田給水場より受水し,千葉寺町,星久喜町,青葉町,矢作町,都町等,干葉市の一部地域に配水を行っている。

給水塔の保存状況は良く,建造物として,ほぼ当初の姿を保っている。階段の5階の踊り場の壁面に,1937(昭和12)年2月,白組による建物の建設終了と1977(昭和52)年3月及び1988(昭和63)年3月に終了された修理を記念する額があり,またその他の資料から施設の沿革が明らかである。建設中と建設直後の写真も5枚残っている。また,施設全体の建設当時の設計図(59枚)の青焼きが誉田給水場に残されており,マイクロ・フィルムに入ったコピーは水道サービス協会で保管されている。

(モリス マーチィン)

地形図 「千葉東部」(略)

写真73-1 旧干葉県都川給水塔(1997年) 写真73-2 給水塔の階段と玄関(1997年)

参考文献

1) 千葉県水道局:千葉県営水道史,1982年


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