たてやまかいぐんこうくうたいえんたいごう

80 館山海軍航空隊掩体壕


館山市

その他・軍施設

不明

1930(昭和5)年,館山海軍航空隊は海軍5番目の実戦航空部隊として開隊した。この基地は,1923(大正12)年の関東大震災による地盤隆起により,笠名海岸と沖ノ島・鷹ノ島を結ぶ一帯が陸続きになったところが埋め立てられ,建設されたものである。

以後周辺は要塞地帯となり,現在の館山市香から沼にかけての地域には,航空機用の壕や射撃場をはじめ,航空機部品や弾薬,食料などの備蓄倉庫など,様々な軍事施設がつくられた。

1939年(昭和14)年6月の館山海軍航空隊現状申告覚書によると,89式艦攻23機,97式艦攻40機,94式水偵30機,95式水偵22機など124機が配備されていたことが記録されている。この当時は,漢口・南京・高雄などの中国戦線の基地に97式艦攻を送り込む役割があったが,太平洋戦争開戦後は,東京湾および関東近海の防衛の中心基地として使用され,終戦時には零戦15機,紫電1機,99式艦爆2機,97式艦攻5機,天山1機,零式水偵4機,94式水偵2機など41機が残っていた。

防空施設としては,館山城山砲台,大賀二子山第一砲台,館野大網第二砲台,八幡砲台,船形砲台,香寺山砲台,神戸布沼砲台,北条砲台,笠名砲台の9砲台が構築されたほか,敵の空襲から飛行機を守るための掩体壕が40ヵ所以上設置された。

掩体壕は,爆撃に耐えるよう全体が分厚い鉄筋コンクリートで固められ,館山市宮城には,終戦時に13基の掩体壕があったといわれているが,その後は農機具の倉庫あるいは車庫代わりとして使われ,現在は1基が残っているのみである。

(杉江 敬)

地形図 「館山」(略)

写真80-1 掩体壕(1997年)

参考文献等

1) 館山市史編さん委員会:館山市史,館山市,1971年
2) 愛沢伸雄:戦跡フィールドワークー東京湾要塞地帯に戦争の傷跡をみるーレジュメ,館山市館山地区公民館,1997年
3) 鶴岡五郎氏等からの聞き取り


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