たてやまかいぐんほうじゅつがっこうかがくへいきじっけんしせつあと

86 館山海軍砲術学校化学兵器実験施設跡


館山市

その他・軍施設

1941(昭和16)年頃

1941(昭和16)年6月,陸上戦闘のための特別陸戦隊士官育成をめざした館山海軍砲術学校が,神戸村(現館山市)佐野に開校した。

兵科は,陸戦科・対空科・化学兵器科に分かれ,そのうち化学兵器科は,海軍唯一の兵科で平砂浦演習場で化学兵器についての実地訓練を行っていたといわれるが詳細は不明である。兵科の性質上,医療系あるいは理工系の学生が配置されたといわれている。

この化学兵器科の情報としては唯一証言のみであるが,山口栄彦著『消えた砲台』では,

海軍で細菌戦の訓練をやっていたのは,全国でただひとつ『館砲』だけだった。それも海軍内から,よりによった150数名の人間が極秘に化学兵器班として訓練されていた。秘密厳守は徹底的で ,同期生,面会の父兄にすら,仕事の断片さえも語ることが許されなかった。

と記されている。

現在,農地となっている平砂浦(館山市藤原)には,当時「ガス講堂」と呼ばれていた3)煉瓦造りの建物があったが1997(平成8)年に取り壊された。また,その建物跡地に隣接して,「化学兵器実験施設跡」と伝えられる3)コンクリート造りの小建造物跡がある。この建物については,毒ガス訓練の監視壕あるいは毒ガス貯蔵庫との証言もあるが,その使用目的は不明である。

(杉江 敬)

地形図 「館山」 (略)

写真86‐1 化学兵器実験施設跡と伝えられる建物(1997年) 写真86-2 ガス講堂と伝えられた建物(1997年)

参考文献

1) 山口栄彦:消えた砲台,東銀座出版社,1991年
2) 館山市史編さん委員会:館山市史,館山市,1971年
3) 愛沢伸雄:第3回「戦後50年を考える」講座レジュメ,1995年
4) 鶴岡五郎氏等よりの聞き取り


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