第1節 地域の医家の発展  第2節 はやりやまい(天然痘)と人々の闘い

第2節 流行病と人々の闘い
  人類の歴史の中に、人とウィルスなど目に見えない相手との戦いの歴史がある。 古くからあるはやりやまいとしては、疱瘡(天然痘)・麻疹・赤痢・腸チフスなどが見られ、人々に恐怖を与え、苦しめてきた。現代と違って、そのほとんどが原因不明であり、次次に人が倒れ、人々の恐怖を増長してき た。高野家が医家を営んだ期間は、年表にもあるよう にジェンナーが牛痘接種に成功する約半世紀前からであり、日本でもその接種法の実用性が実証されてきた時代である。そして、高野家からも種痘用メス(右)が見つかっており、天然痘により失明した患者や眼病との闘いがあった。
  我が国に天然痘が入ってきたのは仏教伝来の頃であるとされ、その名称もいろいろで、もがさ・疱瘡・痘瘡などと称し、治療法・予防法もなく、ただ神仏に祈るしかなかった。一例を挙げれば、天然痘の鬼は赤い色を嫌うとされることから、患者も家族も赤い着物を身につけ、また赤絵(紅絵・疱瘡絵)といわれるものを家の中にはり、鬼の退散をねがう慣習も見られた。また、1156年の保元の乱の際、源為朝が流された八丈島では、天然痘発生がなく、為朝が描かれた赤絵ももてはやされたという。また眼病治癒を願う絵馬の奉納などもみられる。
  天然痘と眼病には密接な関係があり、それは、天然痘による失明が多く見られたという点にある。もちろん、これだけが原因というわけではなく、淋菌性疾患や麻疹などによる失明も多く、これらは、「風眼」という病名でくくられていたようである。
  幕末の眼科医である高野敬仲の活躍の中心地「関宿」には、次のような奉納額と疱瘡石が存在し、人々が病魔から逃れようとしている様が浮かび上がってくる


12 昌福寺奉納額
千葉県野田市関宿台町 昌福寺蔵


13 昌福寺奉納額
千葉県野田市関宿台町 昌福寺蔵

14 疱瘡石
千葉県野田市木間ケ瀬 慈眼院蔵