第1節 高野家の略系図  第2節 高野家に遺された医療関係資料  第3節 高野家の医家としての活動範囲
第3節 高野家の医家としての活動範囲
〈薬の販売エリアと患者の通ったエリア〉

  第1節の系図に、3代目敬仲(椿寿)の二男、石寿の名が見ら れる。石寿は、取手(茨城県)に出張所を設け、医業だけでなく、目薬も手広く販売していた。これらは、高野家に遺された広告(版木・引き札)から読みとることができる。
  下の地図は、わかりやすくするため、現在の県境・地名で示してある。医業の中心地は、関宿桐ヶ作であり、利根川・江戸川流域に展開していることが分かる。これは、当然、舟運の発達と密接な関係がある。また、石寿が取手に出張所を開き、薬を販売したエリアを点で落とすと一つの円(半径約33q)の中に収まる事に気がついた。また、この地域は、印旛沼、手賀沼、霞ヶ浦等河川だけでなく、交通の利便性にも優れた地域である。