《十月、牧場の夕べ》 1860 油彩・カンバス・額  93.0×132.0cm
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フォンタネージ

1818〜1882:Antonio FONTANESI

 本館では、開館以来浅井忠を中心とした作品の体系的な収集をめざしてきた。その中でも、浅井が工部美術学校で学んだフォンタネージは、収集の重要な作家として位置づけ、現在11点の作品を収蔵し、東京国立博物館、東京芸術大学大学美術館と匹敵するコレクションとなっている。
 この作品は、サルディニア王国を建設し、19世紀にはイタリア独立運動に大きな役割を果たした北イタリアの名門「サヴォイ家」に所蔵されていたものである。1947年、フォンタネージの研究家であるマルツィアーノ・ベルナルディ監修の『アントニオ・フォンタネージの50の作品』展(トリノ、ガゼッタ・デル・ポポロ画廊)に出品され、はじめて世に紹介された。
 陽が落ちようとする牧場。残照が木々の影を映し、日陰にはひとりの少女と二頭の子牛が佇んでいる。その陰影部分とたっぷり光を含んだ雲と山なみの明るい部分とが、画面に見事なコントラストを生み出している。残照を背にした遠景の木々は、コローを思わせる銀緑色である。中景から前景は主に脂色と黒色で構成しながら、白色により僅かな光を表現している。画面全体はエナメルのような色彩の質感をもち、また厚い平坦な絵具の層で仕上げるために、所々パレットナイフで削り取っている。その趣きは、バルビゾン派の流れに沿いながらも、ロマン主義の伝統を汲む憂鬱と抑制のある種のムードを漂わせている。しかし、どのエコールにも属していない。フォンタネージは、風景画を描くのに、自然を見つめ、自然のリアリティを追求する以上に、自らのすべての感情と経験を移入した。それ故に、バルビゾン派のように、農民の貧しさや苦しみを主題とすることはなかったし、ロマン主義のように、伝奇的、空想的に陥ることもなかった。彼の作品には、常に峻厳で、孤独で、禁欲的な雰囲気が支配している。これは、幼くして父親を亡くし、独立戦争への参加という現実の経験から生み出されたものであるに違いない。
 この他、本館のコレクションには、日本滞在中に工部美術学校の新築校舎の装飾の画稿として描き、浅井忠の旧蔵であった《神女之図》(木炭・赭チョーク)をはじめ、油彩7点、パステル2点がある。そのうちパステルは、日本での制作と考えられる。(前川公秀)